2014年9月24日水曜日

野黒沢(のぐろさわ)の石鳥居 [山形・尾花沢市]


この散乱した石材は…


日本最古の石鳥居の一つ
「野黒沢(のぐろさわ)の石鳥居」

〜東北芸術工科大学、文化財保存修復研究センター「日本最古の石鳥居群は語る」より〜


野黒沢(のぐろさわ)の石鳥居

所在:尾花沢市野黒沢
様式:明神系八幡鳥居か
年代:室町時代
材質:砂岩性凝灰岩
推定寸法:総高約3m、横幅3.63m、柱径0.48m
状態:当地倒壊放置
位置:38.639166, 140.381307


 山形盆地の北端に尾花沢市が位置し、市内から北の山間部に面して野黒沢がある。この地区は野後とも呼ばれ、古くは延喜式の駅傳馬時代の駅名として知られる。今でこそ奥まった山村に近い状況だが、かつては奈良・平安時代から多賀城と鳥海山麓の遊佐を結ぶ、いわば太平洋と日本海を横断する戦略的に重要な横街道上に位置していた。

 この地に旧諏訪神社があり、石鳥居はこの杜に帰属する。鳥居の現状は残念なことに、倒壊して部材が散乱したままとなっている。倒壊を受けても村山地域に残る古式石鳥居群の様式的な特徴を有し、その建立年代の推定もなされている点から、貴重な文化遺産の一つとして位置づけられる。特に、礎石と柱のホゾ構造が明確に示されているうえ、礎石からは古い銭がはじめて見つかるなど、学術的な面からも大変重要な価値を有する。


 この鳥居に関する最初の調査は、昭和十四年に山形師範学校(現:山形大学)の長井教授らによる。調査は諏訪神社南方の野原に埋もれた石材群の発見報告からはじまる。調査の結果からは、二等分された柱の長さが2.15m、笠と島木の高さが0.33mで、これをあわせると2.48mある。貫の残片などが見つかっていないが、これに額束の高さを見積もると、総高は凡そ3mにもなる。笠木の長さは部材をあわせると、約3.6mある。これに柱の径も約0.5mあり、古式石鳥居のなかでは中型に属し、横長の安定した姿だったことが浮かび上がる。

 また、径0.6mある礎石には直径0.38m、深さ0.26mのホゾが掘られてあり、なかの土を除去する際、なかから永楽通宝三枚と洪武通宝一枚が見つかっている。こういった事例は大変珍しく、石鳥居の信仰や建立年代を知る上で貴重な資料を提供している。洪武、永楽通宝は14世紀末から15世紀初頭に生産された明代の貨幣だが、貿易を通して日本に大量に輸入されたものである。この貨銭の製作や流通時代から、石鳥居の建立年代の上限を室町期に算定することができる。つまり、石鳥居の時代様式と地域性を考慮すると、近世までは下がらず、新しくても室町後期建立とするのが妥当であろう。

 諏訪神社は貞観十二年、従五位下に叙された「出羽国須波神社」のことであり、当時この辺りは宿場と馬市で栄えていたとされる。しかし、馬市が現在の尾花沢市内に移ると神社も新しく遷座し、この地には旧社だけが残されてしまったという。この状況を石鳥居の建立年代にすり合わせてみると、新しい地への遷座は少なくとも室町以降となり、それを石鳥居は見守っていたことが想像できる。


 この他に、礎石のホゾに柱下端の突起部を嵌る構造が明らかにされ、古式石鳥居の力学構造に関する知見を得ることができる。石鳥居は木像に比べ耐久性は優れるが、地震などの衝撃には弱く倒壊を生じやすい。

 しかしながら、山形には平安時代をはじめ鎌倉、室町に遡る石鳥居が伝わり、しかも群をなしているのは何故だろうか。現に、中世に遡る石鳥居は全国的にみても非常に希であり、国の文化財指定を受けている鳥居に関しても現状は変わらない。山形だけ地震災害が極端に少なかったのだろうか。あるいは古い建立年代自体が仮説にすぎないのだろうか。客観的な根拠が提示されないまま、疑問だけが飛び交っている。

 こういった現状のなか、野黒沢の石鳥居の残片は保存性の謎を解く重要なカギを提供している。ホゾによる礎石と柱の結合構造がそれである。このカギをヒントに、礎石が露出している成沢の石鳥居を調査した結果、同じくホゾ構造であることが確認された。同然、元木の石鳥居などにおいてもホゾによる結合構造の採用が考えられる。

 このホゾ構造のほかに、凝灰岩ならではの軟らかい材質、それがゆえに肉厚で横長なデザインが保存に重要な役割を果たしていたと考えられる。すなわち、凝灰岩という多孔材がかつ軟質の材料的特性から、細くシャープに仕上げることは出来ず、仕上げは肉厚の傾向となる。このために全体の中心が低くどっしりとしている。このうえ、柱を地面に深く埋めて硬く固定するのではなく、柱を礎石の半球状のホゾに嵌め自重で自立させている。これにより柱は一定のあそびを生じ、地震などの衝撃を受けた場合、その力は分散して小さく緩和されると見られる。実際に、礎石と柱下端部は幾分か地中に埋められるが、太い部材の鳥居自身の重さが加わり、構造的なバランスをとる。

 こういった柔軟な構造は近世における地中固定構造と大きく異なっている。この場合、地震などの衝撃は固定部位に集中し、剪断応力を生じさせる。地震災害時に石鳥居の多くが根元から壊れるのはこのためである。


 また、石鳥居を成す岩石の多孔性は衝撃吸収に適しており、他の硬質岩石にはない構造的な安定性を生じ、古式石鳥居が多く残ったのではなかろうか。仮に地震などで倒壊しても、肉厚の太い柱なので破砕が少なく、そのために再利用されていた可能性も十分に考えられる。

 これらの仮説を立証するには物理的な実験結果が求められるが、いずれにしても倒壊している野黒沢の石鳥居には、これらの他にも多くの情報が埋もれている。優れたその構造や、独特なデザインに工夫を凝らした先達の知恵に感服しながら、もう一度本来の場所に、地域再生のシンボルとして石鳥居の姿が復元されたらどうだろうか。



見に行った時は、すっかり蔓草に覆われており、
石材がどこにあるのかすら分らない状態だった。






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