2014年9月22日月曜日

笹谷古道・仙住寺跡 [宮城・川崎町]


幻想的な夜明け

笹谷峠「有耶無耶(うやむや)の関」を少し下りたところに
「仙住寺(せんじゅうじ)跡」はある。


石碑「十一面観世音」

石碑「南無阿弥陀仏」


仙住寺(せんじゅうじ)跡

〜現地・案内標柱より〜

東国山(とうごくざん)
仙住寺(せんじゅうじ)跡

 この寺は寛永十九年(1642)二代藩主伊達忠宗(ただむね)公の寄進により、仙台市青葉区八幡町に現存する真言宗宝光寺の末寺として眞海(しんかい)和尚が開山したものである。

 建立当初は旅人の安全を念じ、助(たすく)小屋をはたし、その存在は心強く、特に冬期間は頼もしいものであった。本尊は釈行基(しゃくぎょうき)作と云われる十一面観音の立像で、現在は笹谷集落の「笹谷十一面観音堂」に安置されている。



手水鉢(ちょうずばち)

〜現地・案内標柱より〜

手水鉢(ちょうずばち)

 社寺など参拝の前に、手・顔を洗い清めるための水を入れておくため、自然石に手彫りでくりぬいてある。ここは平坦な窪地で周辺は自然木や熊笹が覆い茂り、風避(よ)けにもいい場所であり、ここにたたずむ一瞬は多くの人々の嘆息が聞こえてくるような雰囲気につつまれてくる。



空井戸と畳石

〜現地・案内標柱より〜

空井戸(からいど)

 仙住寺(せんじゅうじ)建立当初は助小屋(たすくごや)の役目をはたしており、僧侶たちの生活用水や通行人、遭難者に供されるためにつくられたものである。深さ3.0m位で大小の岩石が散在し、掘削するのにかなりの年月と辛苦があったであろう。

畳石(たたみいし)

 空井戸を覆っているこの大きな石は、仙住寺の鐘楼(かねつき堂)の床として使われたものであろう。近年になって事故防止のために井戸上に蓋(ふた)代わりに置かれたものである。


さまざまな石造物が残っている。


周囲から木々が生え覆おうとしていた。

峠道に立つ石碑群



 かつて笹谷峠の宮城側に位置した「仙住寺」だが、慶応三年(1867)に火災で焼失。明治維新後は廃寺となった。その後、仙住寺に納められていた「十一面観音の立像(行基作)」は麓の笹谷集落に下ろされた。それが現在、「笹谷十一面観音堂」と呼ばれる所である。

笹谷 十一面観音堂

右から「馬頭観音」「小牛田山神」「湯殿山」「金比羅大権現」

右から「金剛山」「塩竈社大明神」「文殊菩薩」「小牛田山神」
この他に「竹駒大明神」「秋葉明神」

鐘つき堂

〜HP「笹谷峠」より〜

 笹谷峠にはかつて寺院も建っており、峠で立ち往生した人々の救い小屋(避難小屋)の役目も担っていた。これが尼寺と仙住寺である。尼寺は山形側にあり、仙住寺は宮城側にある。仙住寺には鐘が据え付けられ、遭難者があったときにはこれを撞き鳴らし、危急の事態をふもとに知らせた。

 宮城側峠下の笹谷地区には、仙住寺のご本尊だった十一面観音像を移設した観音堂がある。もと笹谷峠の八丁平にあった仙住寺(慶応3年火災)を移置したものであり、その傍らには鐘が据え付けてある。鐘は後世に作られたものだが、峠にあったのもこのような鐘だったのだろう。







半跏思惟の菩薩像


〜現地・案内板より〜

十一面観音様

 七観音の一つで、頭上に九つの小さな顔をもち、その頭上にもう一つの顔があり、本体と合わせて十一の顔があるところからこの名がある。十一面観音様の面差しは、すべて違っており、それぞれに衆生を助ける働きをし、俗世間の人々の色々の難儀を救うとされる息災、除難、除病の観音様である。

 この観音様を本尊として建立されたのが「東国山仙住寺」である。笹谷峠の頂上に建てられ、旅人の難儀を救う役目を果たしていた。慶応三年(1867)火災にあったが、観音堂は焼失を免れた。

 時を経るにつれ朽ち果てるのを惜しんだ笹谷部落民が、明治45年代に現在地に移築して奉ったとされる。像そのものは、奈良時代の僧行基作と伝えられる。一木造りの珍しい等身大の立像である。

平成十一年三月 再建
川崎町教育委員会




 笹谷の集落から「十一面観音堂」の入り口には、もう一つのお堂が建つ。








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