2014年9月11日木曜日

刈田嶺神社(奥の宮) [宮城・刈田岳]





蔵王連峰、刈田岳(標高1,758m)山頂に位置する

刈田嶺神社(奥の宮)


〜『蔵王山調査報告書』山形県上山市教育委員会より〜


菅沼定昭の『上山見聞随筆』に

苅田山は、奥、羽、両国の境にして、苅田、柴田、南村山の三郡にまたがる山なり。御峯は金峯山蔵王権現、人皇四十代天武天皇の御宇、白鳳八年巳卯、役ノ行者の開闢なり、本尊と現れ玉ふは降三世明王本地釈迦如来という(中略)。この山、表口別当は遠刈田の嶽ノ坊、裏方別当は廻館の安楽院なり。また半郷村松尾院、宝沢村の三乗院は脇口別当なり。往古本社は今の熊野嶽にありしを元禄七甲戊年(1694)の夏噴火して後ち今の御峯に遷すといふ。熊野嶽また赤倉ともいふ(巻四)。

と、山頂の蔵王権現堂すなわち現在の刈田嶺神社と、その所在地が陸奥国(今の宮城県)の境界に建立されており、その別当には

陸奥国(宮城) 嶽ノ坊
出羽国(山形) 安楽院 松尾院 三乗院

があたって来たことを述べている。



『蔵王岳鎮座刈田嶺神社』しおり(昭和40年頃まで一般参拝者に頒布)には

平安朝の末、前九年役頃は阿部氏当社が氏神とし、神殿をも改築せし事あり。降って戦国時代に至りては当地方は出羽領に属し、最上出羽守これを領し尊崇最も厚く、水下五十町歩を神田に寄進し家臣甘糟氏をして守護せしめたり。其の後、伊達氏代りて陸奥に覇を握るや、また己が守護神として家臣片倉小十郎をして守護せしめ…

さらに『宮城県史』観光篇に

刈田嶺神社
平安時代には陸奥の豪族阿部氏、戦国時代には最上家の尊崇を得、近世に於ては伊達家の尊崇厚く家臣片倉氏をもって守護せしめた。
蔵王権現の訴訟関係文書によれば、寛永年中(1624〜1644)社殿大破につき山形城主鳥居左京亮が、正保年中(1644〜1647)の大破の際は片倉氏が再建。享保年中(1716〜1736)の再建以来は21年ごとに片倉氏によって造営を行う習慣となった。

そのほか、いろいろな書(『神社名鑑』宮城県の部など)にも略々同じことが記されている。

即ち、平安時代は安倍氏が尊崇し、戦国時代には山形城主最上氏が領主として信仰保護し、さらに江戸時代のはじめに於いても山形城主鳥居氏が社殿再建を行って崇敬保護を行ったことを教えている。そしてそれが正保年間の大破のとき白石城主が再建した。その後、享保年中以降は引つづいて片倉氏が再建保護した事を示している。



戦国時代から桃山時代、そして江戸時代初期まで再建守護をつづけて来た山形城主から正保年間以降、なぜ白石城主にかわったのであろうか。

その辺のことは明らかでないが、山形側の当時の事情からいえば、鳥居氏は忠政の男忠恒に子供がなかったので所領を没収され、そのあとに徳川三代将軍家光の弟、保科正之が入城し、在城8年にして寛永二十年(1643)会津若松に転じたあと幕府直轄領となったものである。そして蔵王堂の大破したと伝える正保年中に、右幕府直轄地から三代将軍家光の従兄弟にあたる松平直基にうつったものである。

そうした複雑な事情のなかで地縁の強い片倉氏の保護が加えられるようになったものではなかろうか。


社殿右、向かって左の唐獅子


〜『蔵王山調査報告書』山形県上山市教育委員会より〜


刈田嶺神社に奉納した一対の唐獅子は、安政四年(1857)山形の蔵王山講が奉納したもので、すぐれた造形の此の石大工は、大阪の西川弥兵衛、山形の片岡吉之助、片岡広吉がノミを振っており、また当時山形の実業界で活躍した代表的な人々の名をことごとく刻んでおり、当時の信仰状況を物語るとともに経済史的にも文化史的にも貴重な金石文というべきであろう。





金の神「金日命」
御釜 金日命 と刻まれている。


〜『蔵王山調査報告書』山形県上山市教育委員会より〜


蔵王の御山参りには農民のみならず商人も多かった。(蔵王権現の勧請された)大和国吉野は古来から金を産する所として信じられ、その高峯御嶽は黄金ノ峯、金の御嶽として喧伝され、金峰山(きんぷせん)という名の起りとなり、さらに山麓に金山毘古命を祭神とする金峯神社が建立されるに及んで、全国に名高くなった。

蔵王山に於ても、頂上に金の神「金日命」を祀ることが説かれた商人達は、農民とともに登山し、己の商売繁盛を祈ったのであった。殊にこの頃より盛んとなった金華山参詣(金華山講)と相まって、頂上に於ける祈念とともに金華山を遥拝することもできる蔵王登山は、商人達の蔵王信仰を著しく深めた。



〜田中英雄「東国里山の石神・石仏系譜」より〜


「金日命」は『蔵王町史』に、吉野の金峯山は金を産する土地柄とされていたことにあやかり、「蔵王山においても、頂上に金の神『金日命』を祀ると説かれた商人達は、農民と共に登山して、その信仰を深めていった」とある。これと同じ石塔が熊野岳にもある。これらは仙台の商人たちが祀ったものであろうか。この「金日命」、山麓ではまだ見ていないので、蔵王の山頂にだけ祀られた、この山だけの信仰にもとづく石塔なのかもしれない。



商売繁盛の神「大黒天」

社殿左、向かって右の唐獅子
その台座には「商売繁盛」の文字が刻まれている。


眼下に蔵王お釜をのぞむ

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