2014年9月14日日曜日

深沢不動尊 [山形・上山家]





林道の途中にあらわれる石灯籠。

杉林のなかに社が(山神さま?)

林道のわきに、ひっそりと姥神さま。


〜安彦好重「山形の石碑石仏より」〜

山家(やんべ)
深沢不動入口
姥神坐像

山家深沢不動に行く参道南側斜面の雑草のなかに、切り石の台座を置いて座っている。高さ60cmで、丸顔で、恐ろしい脱衣婆(姥神)に似合わず、一見笑顔にも見える目尻の下がった団子鼻の若々しい人相をしている。髪は長く両肩に垂らし、例により胸肌から腹部にかけてだらりと開け、左膝を立てたしどけない格好で座っている。台石に「安政七年庚申(1860)四月五日 当村中 林蔵 セハ司」の銘紀が刻まれている。



〜鹿間廣治「奪衣婆―山形のうば神」より〜

奪衣婆は、ここの不動尊に来る人の中に悪人でも混じっていないかと、そ知らぬ顔で見張っているのだろうか。杉の大木が鬱蒼とした中、目立たぬように少し後ろにさがって座っている。この薄暗く物音一つしない空間は、まさに目に見えないものによって隔絶された結界だ。



深澤不動尊
〜現地・案内標より〜

史跡
深沢不動尊

不動明王を祀る。近郊近在になりひびいた古い不動尊。
奥の院には多数の石仏あり。八竜川の水源地。



「八竜川」源流

巌上に鎮座する不動さま


青銅 不動三尊像


両脇にひかえるは「制吒迦童子(せいたか・どうじ)」と「矜羯羅童子(こんがら・どうじ)」

〜Wikipediaより〜

「矜羯羅童子(こんがら・どうじ)」は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、「制多迦童子(せいたか・どうじ)」は対照的に、金剛杵と金剛棒を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。


深沢観音像




苔むす倒木
薄暗い沢沿いの山路を、奥へ奥へと登って行く。


奥の院

石碑 大聖不動明王
大聖不動明王

兀坔石上入定金判三條亡
除一方絶方知也如秋月之
浮万悲也似春陽之入群芳
人間仰焉災澸夭魔瞻謄喪
逆之與順一等吉祥夫是謁
之統領大于利界無上明王

古今清浄池払塵
   現金勝二十二世太運書



剣の奉納多数


奥の院の裏手には
石像群がずらりと居並ぶ(計16体)。

中央「鉄製 不動明王」

〜日本参道狛犬研究会「石仏教室」より〜


かっての山岳修行者は、この仏を感得しようと山岳に分け入り、滝に打たれて修行したことから、水との関わりを持ち、滝に不動明王の石仏が、祀られるようになった。


〜Wikipediaより〜

不動明王は「八大童子」と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合がある。不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。



 以下、中央の「不動明王像」より向かって左側の石像群(7体)。

八大童子の一
「烏倶婆誐(うぐばが)童子」

〜石像制作「石駒」ブログより〜

「其の身色金剛の如くして暴悪の相を現じ、五股冠を載き右手に三股の縛日囉を握り左手を金剛拳に作して腰を押す」

昭和6年、弊社謹製です。



不動明王


八大童子の一
「慧光(えこう)童子」

〜石像制作「石駒」ブログより〜

「面貌少しく憤怒にして天冠を着し右手に五智の金剛杵、左手に蓮花、その上に月輪」

水害による樹木の倒壊で、4年ほど前に移設、再設置をしましたが、身が厚くとっても重かったことを記憶しております。昭和6年 弊社謹製です。



八大童子の一
「清浄比丘(せいじょうびく)」

〜石像「石駒」ブログより〜

3年前、蔵王地蔵尊の脇地蔵として永年まつられていた向かって左脇の石仏。お地蔵様に似ていますが、右手に五鉾杵、剃髪のお姿ですので、まだ修行中の比丘であると判断し、こちらを参考に復元いたしました。

4代目駒蔵が手がけた深沢のお不動様の八童子は、昭和6年の作品です。



八大童子の一
「阿褥多(あのくた)童子」

〜石像修復「石駒」ブログより〜

「 頂に金翅鳥王を載けり。左手に紅蓮花を把り右手に独股杵を持つ。青き龍の背に乗る」

修復当初、龍の首が行方不明で、若干下流より発見。復元いたしました。



八大童子の一
「指徳(しとく)童子」

〜石像制作「石駒」ブログより〜

「その形藥叉の如く、面に三眼あり、甲冑を着す。左手に金剛を握り、右手に三叉鋒を握る」

昭和6年、弊社謹製です。








以下、中央の「不動明王像」より向かって左側の石像群(8体)。

八大童子の一
「制吒迦(せいたか)童子」

〜安彦好重「山形の石碑石仏より」〜

写真は主尊の右脇侍で、制吒迦(せいたか)童子と見られる石像であるが、制吒迦(せいたか)童子の像容は「紅蓮色の童子形 左手に金剛杵、右手に金剛棒を持ち、天衣を着、五髻をしている」のである。

深沢不動の脇侍は異例で、面相は童子であるが、頭髪は五髻ではなく、巻毛で後に垂らし、両手は持物がなく、胸前で右手を下に重ねている。もっとも不動尊脇侍の二童子は様々な像容をしているものが多くみられる。容貌は童子ながら、両眼を吊り上げ、口をへの字に結び、両足をしっかりと踏まえて、近寄るものを威嚇している姿がおもしろい。



八大童子の一
「慧喜(えき)童子」

〜石像「石駒」ブログより〜

「左の手に魔尼宝珠を持ち、右の手に三股杵を把る」

昭和のはじめの作品ですので、細かな手作業の痕跡を見るにつけ感激!の一言です。



不動明王


八大童子の一
「矜羯羅(こんがら)童子」

〜石像「石駒」ブログより〜

「両手を合掌し独鈷の金剛杵を横挿す。袈裟を以って身を纏い天衣珠瓔を以ってその身を厳飾す」

昭和6年、弊社謹製です。



八大童子の一
「制多迦(せいたか)童子」

〜石像「石駒」ブログより〜

「左の手には縛日囉を持ち右の手には金剛棒を執る。天衣を以って頭眉に纏へり」

昭和六年 弊社謹製



不動明王


不動明王


地蔵菩薩

〜安彦好重「山形の石碑石仏より」〜

深沢不動の童子立像

上山家から深沢という渓谷を遡ること約2km、深沢の源流に深沢不動尊がまつられている。奥の院の滝下には主尊の不動明王や脇侍の八大童子の石像が15〜16体立っている。

滝水を浴びて立っている主尊の不動明王は鉄製で、他に石碑に線刻や半肉彫りの不動尊の小像(何れも明治初期の造立)もあるが、目を引くのは、主尊の両側に立つ脇侍の二童子(作者不明、像高90cm)と、その下に渓流の両側に立つ八大童子の石像である。この石像は玉垣の刻銘から、「昭和六年 納主 山本たか 寄付者 松田駒蔵 工藤勇」が分る。作者は松田駒蔵である。









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