2014年9月15日月曜日

谷地中(やちなか)の石鳥居 [山形・天童市]


谷地中(やちなか)の石鳥居

〜現地・案内板より〜

市指定有形文化財
谷地中の石鳥居
昭和36年3月3日指定

軟質な凝灰岩(ぎょうかいがん)からなり、川原子(かわらご)地内の石取り場からでる石質と同じである。上部の笠木(かさぎ)や島木(しまぎ)は欠損しているが、造立目的は水晶山信仰のためであり、両柱の間から水晶山がくっきりと観望される。形状は、笠木を上から落とした柄(ほぞ)穴だけで貫(ぬき)穴がなく、他に見られない全く異形の鳥居である(鎌倉時代)。
昭和62年11月1日
天童市教育委員会



軟質な凝灰岩からなる。

かたわらの石碑群。
「獅子舞供養塔」「馬頭観音」「牛頭天王」「太神宮」

〜東北芸術工科大学、文化財保存修復研究センター「日本最古の石鳥居群は語る」より〜

谷地中の石鳥居

所在:天童市川原子
様式:明神系
当初年代:平安〜鎌倉
材質:石英粗面岩質凝灰岩
寸法:柱長2.1m、柱径0.76m、柱間隔1.6m
状態:笠、貫欠損
位置:38.39086944,140.42313055



鳥居は「門」であり「柱」である。

笠木も貫も抜け落ち、柱だけがそびえる弁慶の一夜造りの石鳥居は、「柱」としての鳥居の原風景を静かに物語る。



 山形の村山盆地を羽州街道が南北に連なり、その真ん中あたりに位置するのが天童市である。この天童市には少なくとも四基の古い石鳥居の痕跡を見ることができる。日本最古の石鳥居群の中心地とも言えるこの地域の山間部に、川原子地区の谷地中の石鳥居がある。鳥居に向って中央に見えるのが水晶山であり、かつて山岳修験の聖地として隆盛を誇っていたとされる。このことから鳥居の帰属を水晶山とする説には異論がない。

 地元ではこの鳥居を「弁慶の一夜造り」と言うが、それは笠木や貫などの横材がなく、柱しか残っていない現状と関係する口伝であろう。すなわち、弁慶が急いで造っていたが、「夜が明けたので笠を載せずに鳥居造りが終わった」という物語が伝承されている。事実の確認はともかく、長いあいだ欠損状態が続いていたことを間接的に示唆する点で興味深い。

 鳥居の現状は両柱を残すのみとなっている。恐らく地震や風雪などによる破損を生じ、何らかの改変が加わったものと見られる。現に、この鳥居の柱径は約0.7mもあり、清池、元木、成沢の石鳥居の0.9m級には及ばないものの、その径から中型規模の鳥居であった可能性は高い。


 しかし、現状のままの規模や構造だとすると、通るのがやっとの小さな鳥居にしか見えない。改変の詳細については柱の最上段部にある貫穴からも類推できる。柱の両側には約0.3mの貫穴が設けられているが、もしもこの穴に貫材を差し込んだとすると、額束の入る空間がなくなるため、笠木と貫が直接つながることになる。これについて地元の歴史家である川崎浩良氏は、台輪を設けて笠を載せていたという見解を出している。しかし、台輪と同じ高さの額束を設けた鳥居の事例は皆無であるうえ、古式の石鳥居は台輪を付けない。仮に台輪を柱の上に置いて笠木を乗せた場合、鳥居の全体的なバランスが大きく崩れてしまう。台輪は反りと転びなどの装飾性が加わる室町以降の様式とされている。

 また、柱は下端が礫に埋もれたかたちで立っており、ホゾを設けた礎石に柱を乗せるといった村山地域の古式石鳥居様式とは異なる。狭すぎる柱間隔に加わって、その中央に水晶山の山頂を置くような意図性も釈然としない。一間、鳥居の帰属する水晶山を中央に拝むことが自然に見えるかも知れない。だが、古式石鳥居のいずれも帰属する山を中央に捉える例はほとんど見られず、山に向う街道に沿って東西方向に立っている。これらの点から、ある時期に破損した鳥居を再利用し、向きと場所を多少ながら調整したものと考えられる。その際に笠や貫などを復元せず、狭く調整された柱の間を通って神域に入ったのだろうか。それとも、山岳信仰の衰退にともなって門としての機能を失った鳥居を単に拝むだけだったのだろうか。

 その真相は分らないが、石鳥居の形と場所の改変可能性を前提に現状を綿密に把握する必要がある。現在の貫の構造から察するに、古式鳥居と同様の明神系の春日鳥居様式であったものと推定される。ただし、この見解を裏付けるには発掘調査を含めて、関連する学術資料の発見を待たなければならない。


 こういった関連資料の乏しい状況から製作年代の類推は極めて難しい。ただ、「平安後期ないし鎌倉をくだらない」という説だけが漠然と伝わる。これは水晶山にまつわる修験の隆盛時期が平安時代だったという伝承に基づいたものである。水晶山の開基を奈良時代まで遡らせる一部の主張を鵜呑みにする訳にはいかずとも、村山地域の東山麓につらなる山岳信仰の全盛期を平安時代に求めるのは無理がなさそうである。

 近隣の立石寺や若松寺などの創建年代は奈良時代まで遡り、天童市や東根市など周辺に見られる平安時代の遺跡も数多い。現在、水晶山の頂上には盤座の前に大和神社が鎮座するのみとなっている。









山形の石鳥居

元木の石鳥居 [山形]

成沢の石鳥居 [山形]

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