2015年5月31日日曜日

恥川(はずかしがわ) [山形市平清水]



〜『わがさと平清水』より〜


平泉寺の近くに恥岸川(はずかしがわ)の源流の泉があって、清水が今もこんこんと湧き出ています。むかしの人は「お寺さまの泉」として飲料水にしていたと思われます。水を汲みにきては御仏さまを拝み、村人同志の交流もあり、のどかな山村風景がうかがえるでしょう。

この泉から流れる川を、むかしは「清水川(きよみずがわ)」と呼んでいたのでありますが、中古のころ、父・実方(さねかた)を慕ってきました十六夜姫(いざよい姫、中将姫ともいう)が長旅に姿がやつれ、川を渡ろうとしたとき、みにくい姿が水面に写ったのに驚き

いかにせん うつる姿は九十九髪(つくもがみ)

わかおもかげは はずかしの川

と一首詠じましたところ、水神も感にうたれましたのか、突然、川水が引いたと伝えられています。それ以後、清水川は「恥岸川(はずかし川)」というようになったといわれています。



名勝「はつ可(か)し川」


いかにせん(以可尓世ん)
うつる姿は(宇都る姿者)
九十九髪(つくもがみ)

わがおもかげは(和かおも架希盤)
はづかしの川(はづ可しの川)



石碑側面

〜『千嵗山萬松禅寺誌』より〜

中 將姫(實説)

 ちヽの實方(さねかた)を黄泉(よみぢ)に先立てて、獨(ひと)り都の月は見じ。切(せ)めては亡き跡(なきあと)弔ひ參らせむと、侍女(こしもと)三人を召連れて、馴れも給はぬ道芝の、露踏み分けて姫御前(ひめごぜ)は、東(あづま)の旅の發足(かしまだち)

 姫は孝心世の常に御座(おは)しまさず、唯(ただ)一念を亡父(なきちヽ)中 將に奉ぜんばやと、健 氣にも思(おぼ)し立ちぬる旅なれば、東(あづま)の便り齎(もた)らしヽ、從者(ずさ)が臨終(いまは)の言傳(ことづて)を、世に在(あ)る人より聞く如く、涙と共に呑み下し、亡父(ちち)が下りし東路(あづまぢ)を、覺 束(おぼつか)なくぞ下らるる。哀れ亡父(ちち)は都に心を惹かれ、子は陸奥(みちのく)の空を戀(こ)ふ。子故の闇の世の中に、親故辿(たど)る旅なれば、偲(しの)ぶもぢすり摺(す)るといふ、里の夕(ゆふべ)は一入(ひとしほ)に、偲(しの)ぶ思ひの 彌(い)や増(まさ)り、霜に惱める胡蝶の如く、またうら若き身ながらも、面窶(おもやつ)れして見え給ふに、從ふ侍女等(こしもとら)も涙を呑み、互(かた)みに顔を見交(みかは)して、それといはねど主を思ふ、心は神にも通じけむ。さしもの嶮難惡路(けんなんあくろ)も、夢幻の中に出羽路(いではぢ)の坦々なる平地に出でましぬ。

 亡父(ちち)中 將が永久(とは)の眠りに就(つ)きませる御山(みやま)は、程近しと里の老人等(おいら)が告げけむ時、姫が喜びや如何なりし。將(は)たその悲みや如何なりけむ。翌日(あす)は香花(かうげ)を手向(たむ)けつつ、都の状(さま)をも聞え上げ、身の悲みをも嘆かばやと、思ひし宵の枕には如何なる夢か通(かよひ)つる。明くるも待たで暁(あかつき)の、未だ夜深きに立ち來(き)給へば、仄々(ほのほの)白む空よりぞ奇(く)しき御山は現はれて、何處(いづこ)の寺の鐘の音(ね)か、朝(あした)の風を振(ふる)はせぬ。

 姫は嬉しさ懐(なつか)しさ、飛び立つ許(ばか)りに急ぎ來て、平淸水(ひらしみづ)村といふを過ぎ給ふに、村の中央(なかば)に小川(をかは)あり。打ち渡す橋だになき小川なれば、一跨(ひとまた)ぎに徒渡(かちわた)りせばやと、水邊(みづべ)に立たせ給ふに、こはそも如何(いか)に、澄みたる水に影映(うつ)り、我れながら其の窶(やつ)れたる顔色(かんばせ)に、痛くも打驚きて右顧左眄(とみかうみ)


いかにせん映る姿は九十九髪(つくもがみ)
我が面影は恥(はづか)しの川

と一首を詠じて、無限の感慨を流水に寄せ給へば、有りし川水地を潜(くぐ)りて、遠き福の神と云へる川下よりならでは、流れずなりぬ。さても是(こ)は萬里長途(ばんりてやうと)の旅人に憂ひの浪(なみ)をかけじとの、河伯(かはく)がなしし情(なさけ)にや。是れより此の川を「恥川(はづかしがは)」と改めて、今も昔を偲(しの)ぶとかや。

 此(これ)に就(つ)けても思ひ出でらるるは、父が最後と聞きてより、姫が悲み 彌(や)や深く、今は斯(か)うよと都をば、吹く風誘ふ隋(まま)にして、世をば僞(いつは)る九十九髪(つくもがみ)、結びて來しぞ哀れなる。さても古(いにしへ)、女子(をみなご)は年に連(つ)れての髪結び、お局(つぼね)・丁髪(ちょんまげ)(ゆ)ひ終へて、嶋田となれば水引掛け、何處(いづこ)の方にか進(しん)せんと、其の意を込めて結(ゆ)ひしかと、斯くて嫁(とつ)げば丸髷(まるまげ)(ゆ)ひ、寡婦(やもめ)となれば九十九髪(つくもがみ)、姫は旅路の事なれば、人をたばかる九十九髪(つくもがみ)、如何に心を碎(くだ)きけむ。あはれに悲しき事共なり。實(げ)にや語るも聞くも涙川(なみだがは)、「恥川(はづかしがは)」に名を留めて、恥しからぬ佳(よ)き名をば後(のち)の世迄も殘(のこ)されつ。




恥川 上流部


恥川に築かれた堰堤
その可憐な川名に似合わず、その昔は暴れる川だったという。
さもありなん、峻嶮たる瀧山の膨なる水をあつめては

「戸石山沢」は恥川へと注ぐ
地形としては、千歳山と猿岡山の隘路にあたる。


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