2014年9月6日土曜日

父母報恩寺 [山形・村山市]



石鳥居

山形県指定有形文化財
石鳥居
昭和30年8月1日指定

山形県には石造文化の代表的な石鳥居が約10ヶ所にあるが、推定600年といわれ全国にも誇りうる存在である。この石鳥居もその一つで、通称「古鳥居」といい、古図には最上義守(最上義光の父)の寄進、あるいは鳥居左京亮忠政の寄進とも伝えられるが定説がない。他から移転されたものだといい、その建立の対象は甑岳か小松沢かまだ決定をみないが、保護を加えて永く保存すべきものである。
村山市教育委員会


山形の宝より〜

 この石鳥居は石英粗面岩製で、高さ2.24m、両柱の間2.09m、柱の太さ周囲1.7mである。柱の上に載る笠木と島木は、直線で一石からなり、両端にわずかであるが、反りをあらわしている。貫穴は貫通せず、柱の両側から穴を掘っている。貫の外側と束は失われてしまっているが、両方に痕跡が残っている。 この石鳥居は、笠木と島木が非常に短く、鳥居としての形態は、あまり整っていない感じがある。ある時代に、修繕あるいは改造されたものであろう。

 父母報恩寺のすぐ北側で、札所の小松沢観音に通じる道路上に、西面して立っている。 鳥居の建立について、村山市喜早図書館蔵の元和8年(1622年)前の『楯岡事跡略図』に、「最上義光公建立」と朱書されている。様式から見て、鎌倉時代頃のものである。







雪の観音




雪の観音 御縁起

御本尊は恵心僧都(西暦1602-1677)

自作の本体御立像にて御丈壹寸八分の正観世音菩薩なり。浄土宗名越派再興の傑僧、松岡白雄僧正御、御持仏なりしが昭和五年五月十六日じつに宿縁あって雪害問題提唱者の予に帰す。予は昭和五年秋すべての繋縛を断ってただ御仏の本体を奉持し、東北六県および越後国の各町村落を雪中行脚し遊説に努むること三ヶ年、しばしば危難苦境に遭いしも不思議に加護を垂れさせ給ひ、今日のごとく大目的を貫徹せり。所願成就の名ここに因めり。

御宮殿(御本尊奉安)

第一第二建白書は雪害運動史上真精神を成すものなり。予は謹みて之を自書し、御仏の御供願上度く之を納め御宮殿に奉るものなり。

御堂天平勝宝八年(西暦756)

聖武天皇の孝謙天皇勅願により建立されたる奈良の唐招寺金堂(政府の特別保護建造物)を模倣縮型したるものなり。御堂下地中には大聖釈尊御誕生の地上塊を甕中に納めて埋没す。

昭和十年乙亥十月十日
松岡俊三
御本尊 正観世音菩薩
 雪の観音 御詠歌

かかげずば ちよもやちよも うずもれん
かかげててらせ のりのともしび

作:松岡俊三
額寄付:矢矧八郎



父母報恩寺













0 件のコメント:

コメントを投稿