阿弥陀清水(あみだすず) |
〜現地・案内板より〜
阿弥陀清水(あみだすず)
ごうごうと音をたてて流れる湧き水は「あみだすず」と呼んで、土坂の用水として大切な役を果たしていた。
ここを通る旅人たちが、この清水にのどをうるほし人休みをした。付近にはマムシが多かったので、草でやぐらを作り、旅人の便をはかったところから「草やぐら」の名が生まれたと伝えている。
「草矢倉村」は明治九年九月十一日、土坂村と合併して「土坂村」と称したため「草矢倉」の名が消え去った。
泉のほとりに並ぶ石碑に、春夏・秋冬・水鏡の三面があり、栄意の百吟がきざまれている。享保三戊戌年(1718)七月十七日の日付がある。このほか、明治の初、仙台の人を師匠として学習し、別れを惜しんだと書かれた和泉氏の碑や、古い石碑が並んでいる。
滝山地区振興協議会
平成三年度 宝くじ助成品
南無阿弥陀佛 |
〜滝山地区町内会連合会「滝山地区 歴史の散歩道」より〜
阿弥陀清水(草谷倉)
西蔵王への道をすすみ、草谷倉の「阿弥陀清水(あみだすず)」へ出る。岩波からの道もここで出会う。瀧山詣の信者たちはここでノドをうるおし、しばしの憩いをとったことであろう。泉の形は変わったが、古のまま、清らかに湧き出て絶えることがない。
泉の正面に「阿弥陀佛」の碑が建っている。また墓碑も建っている。瀧山詣の安全を祈った僧たちの姿が考えられる。また「春夏」「秋冬」「水鏡」の三面の歌碑が並び建っている。享保二年(1717)七月十七日の建立である。誰が建てたか不詳であるが、文学碑として文化の香りが感じられる。
草谷倉は、明治九年九月十一日「土坂・草谷倉」の合併により「土坂」となった。以後、「草谷倉」の名は小字名として残っている。
土坂公民館のところは、かつて滝山小学校の冬期の「土坂分校」であった。昭和五十九年(1984)三月、廃校となり歴史を閉じた。
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