北畠神社 |
〜現地・案内板より〜
北畠神社 由緒
天童市大字荒谷字小才勝四二一鎮座
御祭神
北畠親房命
北畠顕信命
猿田彦神
阿須波神等数柱
由緒
当荒谷(阿谷)は正平六年(1351)十一月、南朝の忠臣北畠顕信卿が北朝の賊将陸奥探題吉良貞家・貞経父子と会戦し、敗走せしめた処(昭和二年五月十六日山形県告示を以って山形県史跡に指定)という史家伊佐早謙の考証と、元財団法人山形県教育会が組織した顕信卿忠誠顕彰会の後援により、邑人村形長兵衛と荒谷地区民の協力により建立された神社である。
大正七年九月 竣工
大正十年八月 秩父宮(淳宮)・高松宮(光宮)両皇子殿下、山寺御成の際、御車を駐められ昔時を偲ばせらる。
昭和十七年十月 久我通顕候爵・岩倉具栄公爵、参拝せらる。
昭和三十八年十月 交通祈願所として猿田彦神・阿須波神等数柱、合祀。
昭和四十四年 社務室ならびに一般集会場、新築。
創立尽力者
史家 伊佐早謙
元山形県知事 馬淵鋭太郎・依田鉄次郎・三浦実生・三沢寛一・篠原英太郎・川村貞四郎など歴代知事
知事官房主事 大沼一郎
顕信卿忠誠顕彰会長 渡辺徳太郎ほか
境内神社
正一位 新霞稲荷神社
御祭神 稲倉魂神
境内地
約壱千坪
恒例祭
大祭 九月二十三日(秋分の日)
元旦祭・祈念祭・新嘗祭ほか
その他
交通安全祈願・神前結婚式・ほか各種御祈祷、随時受付けて居ります。
姥神さま |
〜鹿間廣治『奪衣婆―山形のうば神』より〜
境内の真ん中で、でんと座っている。
胸もお腹も脚もむっちりぽってりで、すべすべした肌の感じは老婆のそれではない。髪も女らしく、長く背中に垂らしている。うつむき加減の視線は何を見、何を思っているのだろうか。
そばの太い松の美しい緑が、奪衣婆の齢を感じさせない若さをさらに強調するように演出しているようにも見えた。
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