〜現地・案内板より〜
荷渡地蔵の由来
大むかしは現在の最上川を中心にここから見える田圃のある広い平地が湖であった。ここを「藻が湖」と呼び、東の山岸を東根と呼び、西の山岸を西根と呼んだ。
東の山岸を通るこの道は当時重要な交通路であった。そして、この所は東根と楯岡の境で、東根から楯岡へ、楯岡から東根への荷物を受け渡して運搬の安全を祈ったことから、この地蔵様が建立されたものだろう。
昭和十二年十一月五日、東根町振興委員会から出版された「家庭教化伝」によると、約1,500年前の創設で幸神社と呼ばれ、猿田彦命を祀り祭事は毎年三月と六月の二十四日と記されております。
尚、百日咳を防ぐ神とされ、祈願されていたことも伝えられております。この地蔵様は本当に霊験あらたかなる地蔵様で、むかしから遠方より参詣者が絶えません。
平成十五年十月三十一日
東根市観光協会
有志一同
〜ブログ「遠い声」より〜
茨城・福島・宮城・山形の各県に、にわたり神社・みわたり神社などと呼ばれているものがあります。漢字では、二渡・荷渡・庭渡・三渡・見渡などと色々に書いているようです。
山形では内陸部に60ヶ所ほどありますが、荷渡と書くのが多いようです。にわたり様とか、おにわたり様とも呼んでいて、そのため鬼渡となっているところもあります。
ほとんどの神社が、百日咳を治す流行神になった事があるようで、にわとり権現と呼ばれていたりします。これは百日咳が「とりしわぶき」「とりしゃびき」と呼ばれていて、咳が鷄の鳴き声に似ているからだそうです。こけこっこ・こけこっこと紙に沢山書いて奉納するとか、鷄の絵馬を奉納する、治ったら赤飯を上げる、とか、納豆を上げるというところもあります。
山形では川の傍にある例が多く、その場合、荷渡神社は川運の荷物の安全を祈った神社だ、と理解されています。田んぼの真ん中や、山の中、街道から外れた場所に位置するものもあるのですが、むかしの道があった、とか、川の流れが変わった、と説明されています。
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