天保年間の石鳥居 |
白鬚神社
16世紀の中頃(室町時代後期)、大暴風雨で馬見ヶ崎川上流の「よし沼」が決壊し大洪水になったとき、荒れ狂う白波の流れに乗った白髪白鬚の老翁が忽然と現れ、洪水を鎮め郷民を救ったという。後に老翁を祀り、白鬚神社と称したのではないかと伝わる。神殿には白鬚を生やした珍しい神像が祀られている。
東沢地区振興会
東沢郷土研究会
東沢観光協会
本殿を覆い隠すほどの杉木立 |
2014年9月現在、修復中 |
〜斎藤林太郎『馬見ヶ崎川流域の変遷』より〜
次に滑川部落の氏神として祀られている白鬚神社について書いておこう。祭日は五月九日で、祭神は倉稲魂命(くらいねたまのみこと)である。
縁起は、天文五年(1536)大雨が降り、蔵王山の「よし沼」が決潰して大洪水となったとき、山に住む翁と姥がいち早く山を下りて来て、危急を里人に知らせた。里人は総出して水防に当り、大洪水の難をのがれたのであった。その洪水を「白鬚洪水」と呼び、村人たちは翁と姥の二人の霊を祭神として祀ったのであった。蔵王山系を背後にして、急流な河川の傍らに村々をつくって住む人々の、切実な願いと祈りがこめられている神社である。
本尊は約40cmぐらいの木彫で、白鬚を生やした翁の座像であり、他の神社では見られない本尊であった。神社のまわりは山麓の杉木立に囲まれ、参道には、享保、嘉永の板碑があり、鳥居は天保の建立であった。昔から幾たびか繰りかえした馬見ヶ崎川の洪水を、しみじみと思いかえさせる神社である。
東澤三十四観音
第三番 白鬚山
しらひげの おいもわかきも さだめなく
ついにゆくみを すめるとうとき
昭和十六年春 梵行寺東澤講
平成二十年二月再奉納 丹波屋
〜東沢の歴史散歩道「白鬚神社」より〜
白鬚神社
滑川地区の神保土にうっそうと生い茂った杉林の中、白鬚神社がある。祭神は水神とも或いは水除神とも申すが、文書等もなく詳細不明という。境内には元禄十年(1697)と正徳四年(1714)の庚申塔がある。さらに享保十一年(1726)に三乗院の六代住職が導師となって造立した巳待塔もある。
御斎灯
神社恒例のお斎灯が1月の第三日曜日午後7時から行われる。当日、薪などを奉納するため朝7時までに自宅前に準備したものを、滑川消防団で神社へ運び準備する。地区民、及び地区外からの参詣者が、古くなった御札や、〆飾り、子供らの学習の成果を持ち寄り集う。燃え盛る炎であったまり、その火でタバコをすったり、餅を焼いて食べたりすると、風邪をひかないとか…。「今年もよろしく」と、一年の初めの顔見せで始まる。
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