〜現地・案内板より〜
東根の大ケヤキ
この地は、正平二年(1347)、小田島長義が築いた東根城(小田島城)の本丸跡にあたる。
その昔、「雄槻」「雌槻」と呼ばれた二本の大槻があったが、明治十八年に雄槻が枯れてしまい、雌槻だけ現在に残っている。これが「東根の大ケヤキ」である。
山形県立林業試験場の場長、大津正英氏(農学博士)によれば樹齢1,500年以上で、地上1.2mの幹周は16mあり、さらに直径は5mである。主幹は地上5.5mの高さで大きく二股に分かれ、西南側のものがやや直上して枝を分け、東側も大きく三枝を分けて天空をおおい、その高さは約28mに達する。
平成元年五月、植物学の権威者である金沢市の里見信生氏が大相撲の番付表を模した「日本欅見立番付」を発表したが、「東根の大ケヤキ」は東の横綱に位置し、名実ともに日本一である。
東根市教育委員会
昭和三十二年九月十一日 国指定特別天然記念物
昭和六十一年 山形新聞社・山形放送主催「グリーン山形110景」選定
平成二年六月 読売新聞社と国際花と緑の博覧会協会主催「新・日本名木100選」選定
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