石倉の石鳥居 額束(がくづか)が2つあるめずらしい石鳥居 |
〜現地・案内板より〜
石鳥居
この石鳥居は、凝灰岩(ぎょうかいがん)で笠木(かさぎ)の長さ6.2m、柱の高さ3.17m、柱の太さ直径0.89m、柱と柱の間は2.99mあります。
造立年代について、干布村郷土史では「近世前期のようだ」としていますが、天童市史では「中世後期」と推定しています。また、この鳥居について郷土史は、雨呼山(あまよばりやま)大権現(龍神様)への奉納であろうとし、市史では向きが南向きだったとも考えられ、山寺に関わる鳥居ではないかと推測しています。
しかし、これは総合的に判断すると、干布村郷土史が記した、雨呼山の信仰に対して造立されたものと考えるのが自然と思われます。そして、この鳥居を造った苦労を思うとき、それだけ雨呼山に対する先人の信仰の厚さと深さを考えさせられます。
平成19年10月
干布地域づくり委員会
山の神さま |
「上から御賽銭を入れると 子宝の声が聞こえます」 |
〜現地・案内板より〜
山の神様
宝暦十四年(1764年)の下荻野戸村差出明細帳に、当村の神社は、稲荷神社、熊野神社、山の神社の3社があり、山にかかわる事の多い石倉では、古くから山の神様を祀っていました。
山の神社(約1坪)の本殿は、神域内の杉の大木1本を切り、それを使って建てられたといわれています。また、山のもつ神秘性と山から受ける山の幸に感謝と祈りを表すために、祀ったとされています。
なお、山の神様は女性神ともいわれています。
平成17年12月
干布地域づくり委員会
石碑 馬頭観世音 |
〜現地・案内板より〜
馬頭観音様
この馬頭観音(ばとうかんのん)の文字塔には「安政四戊巳年・八月吉日」と刻まれていますので、江戸時代後期の安政四年(1857年)のものとわかります。
馬頭観音は観世音菩薩の化身で、畜生道の教主とされ、馬や牛の守り神として江戸時代以降、信仰されてきました。
この塔は、かつて輸送手段の主力であった馬に対する供養や、無病息災・長寿・安産などの祈願をこめて、この林道に建てられたものと思われます。
平成18年12月
干布地域づくり委員会
三宝荒神さま |
この地は、山寺のちょうど裏側にあたる。 |
石倉不動尊 |
天龍山不動尊とも |
〜現地・案内板より〜
天龍山不動尊(石倉不動尊)
このお不動様の草創については不明です。
不動尊(不動明王)は大日如来の化身といわれ、右手に剣をもち左手に羂索(けんさく)をもち、炎に包まれ怒りの形相を示しています。
この不動尊は、災害をのぞき財宝を得るなどの功徳(御利益)があるとされています。大祭は毎年4月28日に行なっています。
平成17年12月
干布地域づくり委員会
社殿 |
この石倉不動尊は「天童三大不動尊」の一つ。 ほか2つは「奈良沢(剣瀧山)不動尊」「高瀧山不動尊」。 |
社殿前の石灯籠 石橋へと続く |
石橋を渡った小高いところにある 「大沢稲荷神社」 |
〜現地・案内板より〜
大沢稲荷大明神
この大沢稲荷神社は、昭和15年に全国稲荷神社の総本社、京都の伏見稲荷神社より、正一位の御位を請(う)けています。
稲荷とは、稲に関する神様で五穀を司る「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」を祀っています。そして、稲荷大明神とはその尊称です。
大祭は、石倉不動尊と同じ4月28日に行なっています。
平成17年12月
干布地域づくり委員会
足尾さま |
沢すじを登っていくと 大木の根元に… |
姥神さま |
〜鹿間廣治『奪衣婆―山形のうば神』より〜
一人くらいは隠れることが出来そうな洞のある杉の古木を背に、奪衣婆(姥神)は座っている。きれいに櫛目のついた長い髪をうしろに腰まで垂らしている。丸顔で引き締まった顔。切れ上がった目が厳しい。
鬱蒼たる沢を なおも登っていくと… |
壁のような断崖が眼前にあらわれる。 この時期(9月半ば)、水はほとんど流れていなかった。 |
滝の右手、断崖下で睨みをきかせる不動明王さま。 傍らの石碑には「三日月不動明王」とあった。 |
高瀧山不動尊 [山形・天童市]
石倉(天龍山)不動尊 [山形・天童市]
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