「北方に見ゆる諏訪八幡、源氏の名将、源義家が 奥羽の後三の戦いに勝利を祈りし神とかや…」 |
御所の休み石 |
〜現地・案内板より〜
御所の休み石の由来
承久三年(1221)順徳天皇が乱を企てて破れ、佐渡へ配流されたがその後、佐渡を忍び出られて遠く出羽の国に落ち延びられて来たのである。
仁治三年(1240)ある日のこと、順徳天皇は最上川をさかのぼり深堀より上陸され、当時の野後村、現在の野黒沢にたどり着かれ、惣左衛門宅に立ち寄り、喉を潤す水を所望されたのである。
惣左衛門は順徳天皇とはつい知らず、ただいっぱいの水を差し上げたところ、天皇は庭先の石に腰を下ろされ暫時休息をとられ再び丹生方面へ旅立ったというのである。
そのあとで順徳天皇であったことがわかった惣左衛門は、不調法な己れの振る舞いを申し訳なく思い、非常に悔やんだのである。そして、天皇が腰を掛けられお休みになられた石を、ただ庭先に置くことを勿体なく思い、惣左衛門はこの石を宮原に移して社を建立し、御所神社として祀ったと伝えられている。
その後、御所神社は損壊がひどく、明治十五年、諏訪神社の境内に移し替え、今尚、地元民の深い信仰をあつめている。
平成十二年(2000)三月吉日
福原ふるさと歴史保存会
諏訪神社 |
社殿右手の池 |
社殿左手の石祠 |
入口の鳥居の裏に転がる、この石材は…? |
じつは日本最古の石鳥居の一つ「野黒沢の石鳥居」 崩れ壊れ、草に覆われるままになっていた(写真は除草後)。 |
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