愛宕山の石鳥居 |
〜東北芸術工科大学、文化財保存修復研究センター「日本最古の石鳥居群は語る」より〜
愛宕山の石鳥居
所在:高畠町高畠
様式:明神系台輪付き八幡鳥居
年代:近世
材質:凝灰岩
寸法:露出総高2.78m、柱間隔(礎石面から1m)1.45m、柱径(礎石面から1m)0.69m(左)0.59m(右)
指定:なし
位置::38°00'36.5"N 140°12'08.9"E
山形県南部の置賜地域は、朝日飯豊と奥羽山脈の連峰に囲まれている盆地である。愛宕山の石鳥居のある高畠町は、盆地のほぼ中央に位置し、東の宮城県につながる七ヶ宿街道(現国道113号)に沿って羽山と愛宕山につらなる。この山系には安久津八幡宮をはじめ、縄文の住居遺跡、石室古墳群などがあり、歴史的にも重要な地域であったことが読み取れる。
石鳥居は愛宕山の西麓の緩やかな傾斜地に立ち、周囲にはブドウ畑が広がる。山頂には地蔵信仰の先駆けとなる愛宕地蔵菩薩堂があり、鳥居の愛宕山への帰属を裏付ける。いま現在この愛宕山は、羽山の麓に位置する青竜寺の管理となっている。東光山青竜寺は羽黒修験の流れをもつ天台宗系の寺院として、愛宕地蔵菩薩、薬師如来、秋葉権現をまつる。創建は平安中期とされるなか、明和五年(1768)に入部した高畠城主の織田左近将監信浮の祈願所として栄えていたとされる。
愛宕山信仰は火伏せに霊験のある神として中世頃から信仰されていたが、近世からは修験道における道場の一つとして、全国に広がったという経緯がある。いま現在も愛宕信仰に関係する社寺は全国に千を数えるが、とくに東北地方に多いとされる。山岳信仰とのつながりを考えるべきだろうが、この一体の山々は標高が低く、山岳信仰の霊場など影が薄い。しかし、標高300数mしかない愛宕山は置賜盆地全域が一望できるなど、近世に盛んだった高畠修験の痕跡を今に伝えている。石鳥居はその象徴的な存在として、建立年代はこういった歴史的な背景に因んで近世と見るのが妥当であろう。
一方、石鳥居の材質は俗に「高畠石」と言われる凝灰岩である。この凝灰岩は比較的に均質な産状を示し、古くから汎用的な地元の石材として名高い。高畠石を産するこの周辺の地質は、新第三紀中新世の凝灰岩層が中心となり、採石場は至るところに散在する。この状況から一定の石加工技術の伝承も古くからあったと思われる。
が、しかし愛宕山の石鳥居の形状は通常の鳥居様式からかけ離れ、独創的な様式を見出している。表面は粗く削り落とされ凸凹が激しく、柱は四角に近く笠は丸い船首をもつ船型を示し、丁寧な表面仕上げによる端正なかたちは何処にも見当たらない。高さ約3mにも満たない小規模の鳥居だが、柱は両足を広げるかのように柱一本分の転びをもち、堂々と立ち尽くすその姿はみる人に豪傑感さえ与える。もはや細かい様式云々の世界をはるかに超えている。加工技術や経済的な理由から生み出されたかたちとは考え難い。どちらかと言えば、石工感性的な面が目立つかたちと言えよう。もし、その感性が信仰心の範疇に入るものとすれば、宗教と芸術が一体化した優れた石造作品として、新たな価値認識が必要かも知れない。
いずれにせよ、愛宕山という銘文が刻まれた額束が設けられ、台輪が柱から削られていること。柱には転びがあり、笠と島木に見られる著しい反りなど。これらの様式的な特徴はすべて鳥居の建立年代を物語っており、前述した寺院と愛宕信仰の歴史を合わせて、近世の中でも後期に属する建立年代を示すものと考えられる。
愛宕山の石鳥居の価値は一に独創的なかたちにある。そして、もう一つはその空間性にあるように思える。石鳥居の前景は高畠の大地が広がり、そのなかに幾つかの森山が鎮座する。冬至の頃、この大地に沈む夕日は鳥居の中央を通る。このとき、石鳥居は夕日に照らされ眩しい光を放つ。鳥居と暦が交差する瞬間である。
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