中山町長崎「鍋掛松」 |
〜現地・石碑文より〜
鍋掛松
舟運栄えたる最上の河畔、樹令三百の松影と芋煮の宴を偲ぶ
月山、蔵王の秀峰、正に雄大なり
昭和五十二年十月
最上川伝承遺跡 鍋掛松復元実行委員会
〜現地・説明板より〜
「鍋掛松(なべかけまつ)」
〜芋煮会発祥の地〜
最上川舟運が中山町長崎から荒砥まで通じたのは、元禄七年(1694)のこと。それまでは、長崎港が舟運の終点であり、米沢方面へ船荷の積み換えが行なわれた要地でした。内陸からは米、紅花などを運び、一方京都からの帰り荷には衣料、蚊帳や雛人形など上方文化を積み帰ってきました。
船頭や水夫たちは船着場で風待ちの逗留の間、京都から運ばれた棒だらと地元の里芋を材料に河岸の松の枝に鍋を掛けて煮て食べました。これが山形名物「芋煮会」の始まりであり、ここに立つ松が「5代目鍋掛松」なのです。
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