2013年8月11日日曜日

夏井「諏方神社」「翁スギ媼スギ」、東北「天の岩戸」 [福島]


子連れの狛犬

右が「翁(じじ)スギ」
左が「媼(ばば)スギ」

樹齢1,200年
これほどの巨木が並び立つのは極めてマレ

説明板より
諏訪神社の「翁(じじ)スギ・媼(ばば)スギ」

指定 国指定天然記念物
指定日 昭和12年12月21日
所在地 小野町大字夏井字町屋


樹齢 1,200年
樹高 翁スギ 48.5m 媼スギ 47.8m
幹周 翁スギ 9.2m 媼スギ 9.5m
根元周 翁スギ 10.6m 媼スギ 10.8m


 神社の縁起によると、奈良時代に右大臣・藤原継縄(つぐただ)がこの地に立ち寄り、勿来(なこそ)の関より持参した白砂をまき二本のスギを植え、諏訪神社を勧請したと伝えられている。

 諏訪神社の参道をはさんで立っている夫婦スギのうち、社殿に向かって右側が翁スギ、左側が媼スギで、どちらも樹勢は旺盛である。

 二本のスギの根元の間隔はわずか1m程度で、二本の幹がまっすぐにそびえ立ち、幹の上部で互いの枝が交錯している光景は圧巻である。これほどの巨木が並び立つ例は非常にまれで、二本が相対して並んでそびえ立っている姿は壮観で威厳を感じる。

小野町教育委員会


諏訪神社

整然とした灯籠三基

奥の本殿と天照大御神(あまてらす)を祀る「天満宮」

説明板より
夏井諏訪神社本殿

町重要文化財
指定 昭和50年2月26日


◯本殿 一間社流造。中備蟇股、組物出三斗、寛文五年(西暦1665年)再建
◯祭神 健御名方命、下照比売命


 当社の縁起によれば、光仁帝宝亀年間(奈良時代)に、当時蝦夷と呼ばれていた東北地方の伊治村の城主砦麻呂が反逆し、国司の広純公を殺害した。またその勢いで民を殺戮し暴虐の限りを尽くしていた。

 このため、宝亀11年5月(西暦780年)征東使として藤原朝臣継縄卿が任命され東奥に出伺した。そして此の地に陣をとり社壇を築き杉を植え勝敵の祈願をこめて奥地に進発し、諸々の敵を破り国府につく。翌天応元年3月、数度の合戦に伊沼の柵を破り賊首砦麻呂を誅して凱戦。帰京し其の後本社を造営したという。

 境内参道にある「おきな」「おうな」杉はその当時植えられたものと伝えられており国の天然記念物に指定されている。

小野町教育委員会
小野町観光協会

八咫烏(やたがらす)の鳥居
「東北・天の岩戸」へと導く

「東北・天の岩戸(あまのいわと)」

この岩の中央やや右に「御神顔」が現れているというが…

説明板より
東北 天岩戸 由来

 今を去る40数年前、当地方に疫病が流行した際、諏訪大神の熱心な信者・柳沼久助翁が社前に病気平癒の祈願をしこの辺りに来たところ、突然スギの大樹の根元に祠があり、その背後に神の御姿が現れ恐れおののき平伏したのであります。

 ただちに他の信者を伴い再びこの地に来たが、そこは跡形もなく消え去り、方々探し求めたが遂に拝することは出来なかった。その後疫病は治まり、平穏な村にかえり今日に至った次第であります。

 以来、幾星霜が過ぎ噂も忘れ去られた頃、時に平成元年6月「みどりのこみち」遊歩道工事中、忽然と山中の大岩に神の御姿を発見。その状は天の岩戸を押して開く「天手力男神(たぢからお)」、無心に踊る「天宇受賣命(あめのうずめ)」の御姿でありました。

 急ぎ山を切り開き、敬虔な信者によって鳥居が奉納され、並びに多数の浄財により祠を鎮座し、我が国数千年の神話に基づき「東北天の岩戸」と命名し、「天照皇大神(あまてらす)」「天手力男神(たぢからお)」「天宇受賣命(あめのうずめ)」御三柱の神を祀るに至り、人々の平和と身体堅固の神として内外多数の信仰を集めた次第であります。

 なお、八咫烏(やたがらす)の鳥居は天照皇大神(あまてらす)の御使いとして遊歩道第一の鳥居であり、人々の道先案内の意でございます。


御祭神

日の神「天照皇大神(あまてらす)」 人類の平和と幸福の神
力の神「天手力男神(たぢからお)」 スポーツ愛好者の守り神
舞の神「天宇受賣命(あめのうずめ)」 舞踏愛好者の守り神


例大祭

11月23日(勤労感謝の日)


平成元年 己巳(つちのと・み)12月吉日

東北天の岩戸奉賛会


きつく匂い立つ

マダケの林を抜けて

山道を少し歩いた先に
「古峯神社」

諏訪大釜

説明板より
諏訪大釜の由来碑

土用入の神社神事である湯花祭に因み、神社より諏訪の名を拝受し信者の総意を以って安置した大釜であります。

平成22年3月吉日

諏訪大釜保存会



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