燃え盛る朝焼け |
県道281号線わきの鳥居 ここから山道へと入っていく。 かたわらには「太神宮」の石碑 |
鳥居そばの道標 |
向
右 髙瀧山不動尊ニ至ル 二十四丁十間
左 田麥野ニ至ル 十六丁四十間
昭和六年八月建之
山口村青年團上組支部
寄贈者 石山七台氏
右「無量浄土 不動明王 地蔵菩薩」 左「庚申供養碑」 |
沢沿いの林道(一部未舗装)をしばらく走ると 建物が見えてきた。 |
奥の院へと導く鳥居 |
石碑「高瀧山大天聖不動明王」 |
「童心にかへる 移民の里帰り」 |
石碑「高瀧山不動尊 籠堂跡」 |
〜現地・案内板より〜
高瀧山不動尊「籠堂(こもりどう)」
高瀧山不動尊は、神亀五年(奈良時代728年)六月、高僧「行基(ぎょうき)」が開眼したといわれ、雨呼山(あめよばりやま)から流れる水が十数メートルの滝をつくり、この滝の正面に不動尊、左に阿弥陀如来を祀っております。
滝に至る周辺は、木立に囲まれ、昼なお暗く、幽邃境に瀑布がひびく霊地となっております。
霊験譚は、居合いの祖「夢想神伝流・林崎甚助重信」の武勇伝のほか、眼病平癒があり、滝ノ水は「ハヤリ目」などの目の病気に良く効くと言われ、往時は近郷近在(特に山形県西村山郡)の崇拝を得て、大勢の参拝客で賑わいました。
その当時は交通の便も悪く、参道は、現在の道路と留山からの沢登りの二箇所があり、多くの参拝者が訪れましたが、日帰りの参拝が出来る不動尊ではありませんでした。このようなことから、参拝者の宿舎として「籠堂(こもりどう)」が現在地に建立され、滝まで行けない参拝者や、朝のおつとめのための祭壇を設けた時代もありました。
また、大勢の参拝者で賑わうことから、増築を行なうとともに、籠人(こもりびと、管理人)も常駐し、無料にて食事の世話などの仕事を行ないましたが、その費用はお賽銭などで賄うことが出来ました。当時の献立は定まったものは無く、麩や高野豆豆腐などの日持ちの良い食品と、山菜や茸などを使った季節料理が中心だったと言われております。
しかしながら、現在の参道の改修により交通の便が良くなったことや、参拝者の減少などにより、平成二十一年十月に籠堂の役目を終えることとなりました。
ありし日の「籠堂」 (案内板の写真より) |
小高いところに稲荷神社 |
少し登ったところにある「見晴らし台」 ちょうど朝日が真っ正面。 |
一転、谷を下る。 |
沢筋を下っていくと 小さな御堂が見えてくる。 |
中に御座しますは姥神さま |
〜鹿間廣治「奪衣婆―山形のうば神」より〜
色柄の美しい着物をきた奪衣婆(姥神)は、ふくよかな若い女性のような姿で、薄暗がりの中に座っている。小さなお堂の中で、1mぐらいの高い所にいる。こちらからは足下のほうから見上げるようになるので、なおさら艶めかしく感じる。ふっくらとした唇も印象的だし、優しい目つきも奪衣婆らしくはない。
〜ブログ「神仏仏閣に癒しの音が響く」より〜
寺伝によりますと、聖武天皇の命により奈良時代の高僧・行基菩薩が諸国巡歴の折、この地の山中に「不動明王」「阿弥陀如来」「地蔵菩薩」の三尊の影向を感得し、神亀五年(728)に高瀧山を開いたと伝えられております。
ここ光明院には三体の不動明王が祀られております。大日如来を囲むように両側に一体ずつ、後方上部にも一体。そしてこの不動明王の両脇には薬師如来と蔵王権現がお祀りされております。この三体の不動明王はそれぞれ過去、現在、未来をあらわしているそうです。御存知の方もおられるでしょうが、不動明王の背後にある炎は炎では無く「火の鳥カルラ」で煩悩を食いつくしてくれるそうです。近くでよく見せて貰いましたら、炎の先の形が鳥の頭の形になっていました。
光明院には他に出世大師像や文殊菩薩の修業時代の像が祀られておりました。また昔は真言宗でしたので、弘法大師像も祀られております。
天童三大不動尊:
高瀧山不動尊 [山形・天童市]
石倉(天龍山)不動尊 [山形・天童市]
奈良沢(剣瀧山)不動尊 [山形・天童市]
色柄の美しい着物をきた奪衣婆(姥神)は、ふくよかな若い女性のような姿で、薄暗がりの中に座っている。小さなお堂の中で、1mぐらいの高い所にいる。こちらからは足下のほうから見上げるようになるので、なおさら艶めかしく感じる。ふっくらとした唇も印象的だし、優しい目つきも奪衣婆らしくはない。
鬱蒼たる大木林 |
見えてきた奥の院 |
高瀧山不動尊は「天童三大不動尊」の一つとされている。 ほか2つは「奈良沢(剣瀧山)不動尊」「石倉(天龍山)不動尊」 |
不動明王の祀られている「だんらん滝」 |
滝上部 この時期(9月半ば)流量は少なかった。 |
滝のたもと、「高瀧山」と書かれた石碑が 倒木の直撃をうけていた。 |
滝右手の岩窟 |
岩窟の入口に祀られていた石像 |
滝の周囲は、断崖に取り囲まれている。 |
滝の左手、岩の窪みに祀られていた石碑 「奉納 昭和七年七月吉日 為 身体堅固」 |
岩からも盛んに樹木が生える。 |
山の麓にある「高瀧山 光明院」 高瀧山不動尊の本坊 |
〜東北三十六不動尊霊場会より〜
高瀧山(こうりゅうざん)
光明院(こうみょういん)
不動尊利益和譛から縁起を見ると、「聖武天皇の御宇、行基菩薩が開眼した景勝無双の霊地にて、その霊験は世々に赫灼なり」と記す。不動尊の影現は滝の魔崖仏である。峻厳な山の気を分けて千仞の谷に降りると、幽邃境に瀑布がひびき、屏風岩に不動明王と阿弥陀仏の影向を拝することが出来る。
光明院御詠歌
世を救う 大悲あまねき 不動尊
焔を負へる 姿尊し
奥ノ院御詠歌
高瀧の 巌にいます み仏は
迷いある身を 救い給はむ
所在地:〒994-0101 山形県天童市大字山口3143-1
堂庭に屹立する「不動慧童子」 東北三十六不動尊霊場の第三番札所となっている。 |
〜ブログ「神仏仏閣に癒しの音が響く」より〜
寺伝によりますと、聖武天皇の命により奈良時代の高僧・行基菩薩が諸国巡歴の折、この地の山中に「不動明王」「阿弥陀如来」「地蔵菩薩」の三尊の影向を感得し、神亀五年(728)に高瀧山を開いたと伝えられております。
ここ光明院には三体の不動明王が祀られております。大日如来を囲むように両側に一体ずつ、後方上部にも一体。そしてこの不動明王の両脇には薬師如来と蔵王権現がお祀りされております。この三体の不動明王はそれぞれ過去、現在、未来をあらわしているそうです。御存知の方もおられるでしょうが、不動明王の背後にある炎は炎では無く「火の鳥カルラ」で煩悩を食いつくしてくれるそうです。近くでよく見せて貰いましたら、炎の先の形が鳥の頭の形になっていました。
光明院には他に出世大師像や文殊菩薩の修業時代の像が祀られておりました。また昔は真言宗でしたので、弘法大師像も祀られております。
天童三大不動尊:
高瀧山不動尊 [山形・天童市]
石倉(天龍山)不動尊 [山形・天童市]
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