神社入口の大ケヤキ |
「六田の石鳥居」 室町時代以前の建立とされる。 |
〜現地・案内板より〜
六田の石造り鳥居
社前の鳥居は「最上三鳥居」の一つにして、文部省指定の重美品であり、市の文化財になっております。
手水舎 |
飛脚を祀った神社ならでは |
與次郎(よじろう)は白狐だったのだとか |
與次郎(よじろう)稲荷神社 |
〜現地・案内板より〜
與次郎 稲荷神社
東根市四ツ家 鎮座
祭神 應神天皇 保食神(うけもちのかみ) 配祀與次郎大人之霊(よじろううしのみたま)
例大祭 十月祝日(体育の日)
由緒・沿革
慶長年間、旧秋田藩主、佐竹右京大夫義宣公の飛脚、那坷與次郎、江戸秋田間を六日で往復し忠勤を励んだが、故あってこの地で暗殺され、恋人お花の手によってひそかに葬られ、慶長十六年、幕府は奉行配下杉本某を派して、四ツ家の鎮守八幡を共に與次郎稲荷大明神として祀られたと伝えられ、今なお秋田県より参拝者多し。五穀豊穣、商売繁昌、交通安全、殊に進学成就などの霊験あらたかである。健脚スポーツの神、また縁結びの神として若人の崇敬篤い。
〜HP「与次郎稲荷」より〜
東根市六田の与次郎稲荷には次のような伝説がある。
関ヶ原の戦いで石田三成に味方したために常陸から出羽秋田へ転封となった佐竹義宣の夢枕に「白狐」が現れ、義宣の久保田城築城で住処が壊されてしまうので土地が欲しいと訴えてきた。義宣は白狐に土地を与えた。
その後、那珂与次郎という秋田と江戸を六日で往復できる飛脚が現れ、義宣に忠節を尽した。与次郎はいつも出羽国六田(東根市)の間右衛門のところに宿を取っており、間右衛門の娘お花と恋仲になっていった。与次郎はお花に自分が白狐であることを明かした。
だが佐竹の動きを監視する幕府隠密は幕府の動きを佐竹義宣に逐一伝えている与次郎の存在に気付き、間右衛門を金で動かして与次郎暗殺を企てた。お花はこの企みを知り、与次郎を宿の裏口から逃がしたが、結局与次郎は逃げる途中油揚げで油断したところを暗殺されてしまう。
お花は与次郎の遺体を葬って姿を消した。その後六田では発狂や怪死、火災など異変が続き、これを与次郎の祟りとして慶長十六年、幕府は与次郎稲荷大明神を祀ったという。また、六田地区は麩の生産地として知られており、周りにも麩の店が多い。
右「勝善宮」 左「馬頭観世音」 |
左から「お地蔵さま」「山神」「稲荷神社」 |
六田の石鳥居 神社側から |
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