玉虫沼 |
〜現地・案内板より〜
玉虫沼は、応永年間(1394〜1428)に高楯城主・武田信安公により溜池(ためいけ)として築堤され、約600年間、山辺の里をうるおしてきました。一帯は山辺西部湖畔自然休養林に指定され、春の新緑から秋の紅葉と、四季折々の自然を満喫でき、ヘラブナ釣りのメッカとしても有名です。また、地元放牧場では生ラム肉ジンギスカン用のサフォーク種緬羊が飼育されています。玉虫沼からは、湖畔の遊歩道、玉虫森林公園のせせらぎ広場を通り、作谷沢「民話の里(まんだらの世界)」へと続いています。
玉虫明神 |
明神さまと「笠松」 |
沼ごしに笠松 |
周遊歩道 |
朝日に輝く |
〜現地・説明板より〜
伝説
玉虫姫物語
昔々のこと、山野辺(やまのべ)のお城に、玉虫(たまむし)という大変美しく動作もしとやかな娘が奉公していた。玉虫は働き者で、殿様からも奥方様からも非常に気に入られ、台所の仕事を仰せつかった。とくに玉虫の炊いたご飯は、良い香りがしておいしいのでした。また、玉虫の美貌は、お城勤めの若侍のあいだで評判がたち、「誰が彼女を射とめるだろうか」などと、大した人気でした。
玉虫があまりにかわいがられるので、他の女中たちは妬むようになった。誰が言いふらしたのであろうか、「玉虫は殿様に蛇を入れて炊いたご飯を食べさせている」との噂が立ち、たちまち城中に広がった。そんな噂が身近に漂っているとは露知らない玉虫は、朝夕の仕事もまめまめしく働いていました。奥方はどこまでも彼女の味方であったが、玉虫の疑いを晴らすためにも、はっきりした証拠を見ておこうとした。
ある朝、奥方はこっそり台所にしのんで、彼女が炊いた釜飯の蓋をとって見た。釜の中には白い蛇がとぐろを巻いたままで湯気を立てている。今までは信じ切っていた奥方は、一気に気力が抜けて目がくらむばかりであった。そして、その夜のことである。玉虫の姿は城中から消えてしまった。玉虫の遺骸が玉虫沼に浮いていたのは、その翌日であった。
玉虫沼に何時行って見ても、水面が清らかに輝いているのは、玉虫姫が毎朝早く掃除をするからだ、といわれている。五月二十一日の玉虫明神様の御縁日に、東の空のほのぼのと白むころに行って見ると、玉虫姫が御殿勤めのときの美しい姿で水面を掃いている姿を見ることができるそうです。そして、これを見た人は一生幸運に恵まれるという。
武田泰造著「山辺夜話」より
親水広場 |
農林水産省「全国ため池百選」平成22年6月 |
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