2016年11月11日金曜日

安斎徹「蔵王火山」



〜真壁仁『蔵王詩集 氷の花』より〜


蔵王の水を飲んでぼくは育った。蔵王の水で稲もつくった。登山家ではないぼくも、この山にはかぞえきれないほど登っている。

熊野岳で暴風雨に会って遭難しかけたこともある。晴れた日の樹氷原で、モンスターとよばれる妖しい白の群像に見とれながら、空中を飛翔している過冷却の水滴が、プリズムのようにキラキラときらめく美しさを発見し、その極微な光の結晶を肉眼でたしかめるふしぎさは、やはり山に来たからこそ見ることができたのだと思ったこともあった。



ぼくは1950年の夏、仲間である詩人十人ほどで蔵王登山を試み、そのときの作品を持ち寄ってアンソロジー『蔵王詩集』を編んだことがある。旧山形高校学校教授で地質学者であった安斎徹先生におねがいして「蔵王火山」の一文を書いてもらい、詩集の巻末に添えた。この詩集も今では手に入れがたいものになっている。先生はもう亡くなられた。

蔵王火山の研究の先鞭をつけられた安斎先生の、短いけれども要を得たこの一文を、こんどの詩集に再録させていただくことにした。ぼくの蔵王の知識は、ほとんど先生との交遊の中で得たものが土台になっている。この文章などは先生の研究の集約の 観があるのだが、生前出版された先生の著作のどれいも収められていないので、本書に収めて記念にしたいと思ったのである。

1978年6月
真壁仁



蔵王火山
安斎徹



東北地方は奥羽山脈と言う分水嶺によって東西に両分される。この奥羽山脈の西方には、これに平行して出羽丘陵が南北に走り、山脈と山脈との間に幾つかの盆地平野を連ねているのが、東北の地形的特徴と言うべきであろうか。これら出羽、奥羽の両山脈には更に各々火山脈が附随していて、出羽には鳥海系、奥羽には那須系の火山が噴出堆積し著しい山岳地系の特色を現すようになった。

私達は鳥海火山脈とか、地理的分布の知識はもち合わせているが、火山脈と言うものに甚だしい個性があることを忘れていないであろうか。試みに鳥海系の火山を見るならば、月山、鳥海山、岩木山と言ったように何れもきまった一個の火山形態をもっていてそれ等の山を指示することの出来る山頂がある。然るに那須系の火山は、吾妻山、蔵王山、八甲田山などのように、広い地域に渡って多数の火山が噴出し、古い時代の噴出物は新しい時代の噴出物によって被覆せられ、或は古い火山が新しい時代になって爆裂されて、既成の火山形態が破壊されてしまい、ついに複雑不定の火山群 形をなしているものが多い。従って吾妻、蔵王、八甲田は鳥海系火山の場合のように、それ等の山の名を指示する代表の山嶺があるのではなく、多くの火山群地形を総称した名称になっているのである。吾等の親しみ敬う蔵王山、それは決して特定の山嶺の一つを指定した名称ではないのである。

このような火山の個性と言うものは、地中から上昇して来て火山の噴火を起す時の岩 漿の性質に原因するのである。鳥海系の火山は比較的静かな活動によってその噴出物を一条の火道を中心として堆積するのであるが、那須系火山の場合は、その噴出岩漿の包含しているガス体の量が著しく多いために、ガス爆裂作用が余りにも強烈であるから、火山の噴出物質は火口から四方に飛散して撒布され、堆積物は円錐形と言うよりは寧ろ高原状の地形を形成するのである。かかる噴火が幾個所となく行われて、次から次へと累積した火山は今日見られる複合火山地形を呈するものである。最も新しいこの形式の爆裂は明治二十一年磐梯火山を爆砕したものであった。檜原三湖の出来た、その山体爆破による泥流々布の地形は歴史的に明確であって、それと同じような爆裂は吾妻にも蔵王にも古い昔には幾度となく繰り返されたのである。蔵王火山の個性は、正しく那須火山の本質を示すものとして観察する価値があろう。







蔵王火山群は広い意味に解するなら南蔵王と呼ばれている不忘山、屏風山、杉ヶ峯などの一帯は勿論、刈田岳、熊野、地蔵、三宝荒神の中枢部ばかりでなく龍山から雁戸山までの範囲はその中に入るのであるが、今日一般人の常識では狭い意味の蔵王を指すことになっている。それは最高峯の熊野岳を中心として、東南方に開口するお釜爆裂火口から刈田岳に及び、西は地蔵岳、三宝荒神岳への山峯を含んだ稍々東西の一連地形がそれである。

このような幾多の群峯が出来るまでには幾十万年の時間的経過と其間に於ける周期的火山噴出とがあった。最も古い時代の噴出は南蔵王で、これに時を同じうしたと思われるものは地蔵岳や龍山火山、更に三宝荒神ヶ岳火山であった。その次に熊野岳、刈田岳の噴出がよほど後れて行われ、馬ノ背の東方にも高大な山峯が聳えていたことは確かである。

かくて最も近代になってから大爆裂を起こしたのがお釜の大火口で、その噴出物は遠く東方に賽ノ磧と言う火山礫の裸地をつくっている。今日蔵王火山の活動が周期的に威力を発揮するのもこのお釜を中心とした部分であって、熊野岳一帯が焼石の裸地を呈しているのはこうした火山噴出の影響に外ならないのである。







山形からバスの客となって南に走り、半郷から山ノ神へと坂路をのぼる時、海抜600米の高地に達する間の段々たる水田と畑地と村落とが発達していることに関心をもたない者があったら、それは余りにも凡俗な人々であろう。このような耕作適性は同志平の開拓地にまで及んでゆく。

遠い歴史前の那須系爆裂は、山形盆地に向って高くたかく聳えて居った龍山火山の南部に破壊的活動を行ったのである。恰も明治二十一年に起こった磐梯山の破裂と同じであった。もともと龍山は溶岩性の火山であるからその山体の破片である安山岩塊は、火山灰と破裂に要した水蒸気の豪水化とにより泥流となって恐るべき勢いの下に西下した。熊野岳を凌いだであろうもとの龍山は僅かにその一片を残しただけで、爆裂の跡には今の高湯と言う大きな凹地が現われてしまった。

泥流は北の方半郷川を境とし、南の方蔵王川を境として流れ、末端は久保手に達して鷹取山の裾と相対し、そこには久保手の小さな盆地をつくってしまった。この泥流々下のため山形盆地と上ノ山盆地とは堰き止められ、磐梯の檜原湖をしのぐ大湖水が出来たことは言うまでもないのであるが、長い間に泥流を横断して侵蝕する川の威力は遂に上ノ山湖盆を今日の沃野と化せしめたものである。半郷から山ノ神への傾斜耕地、それは古い火山泥流が風化分解したため、今が耕作土壌として頃合いの時であると言うことを、洋梨の食べ頃に思いを走らすべきであろう。



高湯温泉は火山泉だと言う。正にその通りで龍山の火口壁が赤く切り立った様相、ドッコ林道の複雑な地形、何れも高湯爆裂火口の内壁なのであるが、時代の経過と共に崩れ落ちて今は原形を想像するよすがもない。

高湯の東に聳え立つ鳥兜山は龍山と同様、溶岩性の山である。恐らく高湯爆裂の地形変化に伴った現象であろうが、この峯を中心として四周に溶岩の大崩壊を起し多くの地崩凹地を形成している。その内容が累岩のため凹地に潴水するものは少ないが、泥土の沈積によって漏水のなくなったドッコ沼などは清水を湛えている。蔵王風穴と言うのは岩崩れのために出来たものである。







紅葉峠から仰ぎ見る三宝荒神岳の急崖、それは東西に向って長い断層崖を連ね、崖下にはカタカイ沼を初めとしてヨシ沼、ショウブ沼などの一連がある。しかし今はカタカイ沼を残して何れもくずれ去ったが、ヨシ沼の崩れは大正九年山形の大水害源となり、今も災源地として手を焼かれているが、これは三宝荒神岳の崖にそそり立つ夫婦岩、それはこの山体をつくっている集塊岩の一部が断層崖に残されたもので、断層にそうた東西の溝地は、ネマガリ笹の密生とダケ樺の林とアオモリトド松の疎林によって風致を飾られているが、コーボルトヒュッテはこの地溝の間に建てられている。冬になると季節風として著しい西風はこの地溝を風道として襲来する。海抜は1,400米に過ぎないが風速の強大甚だしく、樹林は悉く樹氷と化して壮観極まりない。

三宝荒神の断層崖をよじ登るのがザンゲ坂である。この坂をのぼって地蔵岳の山腹に茂るアオモリトド松の密林を展望する時は、火山を想うような焼けた素地など一点もなく、美しい針葉喬木の林の山頂に及んでいるのが目につくことであろう。火山が山頂まで喬木化することは、その火山の噴出時代が古くて、表土がよく分解発達していることを示すものである。

この針葉林は冬になると、特に猛吹雪の多い年程、樹林は樹氷と化けて全く雪氷の中に封じこめられた白妖に変わってしまう。昭和三年、コーボルトヒュッテを建てた頃、私は蔵王の樹林が白妖化した光景を研究して、それは烈しい気象的産物であることを知り、特に「樹氷」と言う名称をつけて表現して見た。其後幾度か全国への放送などを行って樹氷の壮観を公表したが、今では世人に普く知られるようになった。







樹氷は西風の猛吹雪によって起る現象である。雪が樹につくのではなく、雪の降る時その中に混在する過冷却の水滴(摂氏零度以下20度になっても凍らないでいる水滴)と言うのが沢山あって、これ等の水滴が幾十米と言う風速のために樹に打ちつけられて凍結し、その氷は風の来る方向に段々と伸び、歯ブラシの様相を呈して発育するものである。従って樹氷は西に面した方が刺刺しく、東に面した方は滑らかである。

樹林は樹氷に包まれてしまえば、氷のマントを被せられるので極めて安全に冬の厳寒を過ごすことが出来るから、一面より見れば樹木の保護にもなる。冬の登山者は、磁石がなくとも、樹氷の向きが西だと言う心得さえあれば、曾て蔵王山に命を捧げた人々のような災難を逃れることが出来るわけである。

地蔵岳の上に建てられた高山気象観測所の東側は、あの山嶺を境にして大雪庇がかかり、斜面は広大な無風帯のスキー地になる。所謂常風に対しての風蔭であって、そこは局地的に積雪の量が多い。この積雪は稜線の東にそい、夏になっても雪田として残される。雪田は地面に対して雪の侵蝕作用をするから地形の変化が起り、喬木などの生育はゆるされないが、雪田にそうて多くの高山植物が繁茂する。それがお花畑の美しい天地になる。







古い火山体は植物によって山肌が飾られ一見親しみを覚えるが、一度ワサ小屋の鞍部を横ぎって熊野岳へと向わんか、新しい火山の様相は今将に風の侵蝕と奮闘して一塊、一粒の岩礫をも保護し、強い根と蔓との網を拡げて地表を彩って岩をめぐり、自己の繁殖のために美しい花を多く飾って、その幾割でも芽生えの数を殖やそうと企てる植物は、雨と風とに傷められて荒れゆく火山の裸地を緑化する使命を帯びているのではあるまいか。

とりわけいたいたしいのは可憐なコマ草の姿であろう。心ない登山者が見つけ次第に千切り採って今は焼石の地表にその影さえも失われてしまった。

コマ草は他の植物さえも生え兼ねる火山酸性の裸地に繁殖して、長い間に地表を土壌化し、やがて他の高山植物によって緑化され得る土壌の開拓者なのだ。山の緑化は、川の源の地崩をまもって平野の人文を安穏にする最大の原因ではないか。

コマ草を先頭とした高山植物の使命を、只美しい風景として見過ごしてよいものであろうか。無惨にも路傍に千切り捨てられたる高山植物のあわれな姿、威大なる蔵王の大自然には測り知れない詩情を感ぜずには居られない。







熊野岳と刈田岳とは其間に馬ノ背の長嶺を挟んでゆっくりと那須系火山の代表的な地形をつくっているが、一歩その東側に入れば、径二粁(km)に及ぶ爆裂カルデラ(凹陥地)がある。このカルデラは数万年この方蔵王山が活動を起す度に中心部となったところである。

馬ノ背の東側は高さ300米の連崖をなし、爆裂火口壁の模式的なものであるが、この火口が出来てから、カルデラの中に長い年月の間噴煙と共に火山砂礫を吹きあげる活動がつづいたので、五色岳と言う層状を呈した円錐形の火山が堆積した。火山ではこうしたカルデラの中に出来た火山を中央火口丘(セントラルコーン)と呼んでいるが、五色岳は正に中央火口丘である。中央火口丘は同じ火口に再活動を起した証拠であるから、そうした火山を複火山と呼び、複火山の場合に於ける火口壁のことを特に外輪山(ゾンマ)と呼ぶので、馬ノ背は外輪山である。

又外輪山と中央火口丘との間の谷合いは火口原(アトリオ)と呼ばれ、私がお釜を研究するために建てた小屋のある処は火口原にあたるのである。ところがこの火口内に第三次の爆裂が起ったのは、恐らく日本の歴史的初期のことと想像される昔のことで、五色岳の西腹を爆裂して径数百米の大火口をつくり、それが比較的近年に及んで火口に水が溜ったから美しい湖水をなすようになった。俗にお釜と呼ばれるのはこれである。






お釜は蔵王火山の生きた眼のように輝いて登山者の誰にでも強い魅力をもっている。その魅力は自然科学者達にとっても、全世界に類のない湖沼学的な興味から珍重がられるのである。お釜の径は360米、常時の水深は40米、夏の表水は18度、水面から深さを増すにしたがって水温は下り、15米のところには摂氏2度の 低温水層がある。そして20米位からまた水温が高くなって4度半位になる。

こんな風に湖水の深部にある低温水層を挟んで、上にも下にも水温が高くなっている現象を「双温層」と呼ぶ。双温層を形成する湖水は300米以上の深湖に限られ、最低水温は3度半以下の例がない。然るに蔵王湖は浅い水深であり乍ら2度という驚異的双温層が出来るのである。

この現象の究明に私は十数年の間観測をつとめたが、概ね結論はつかみ得た。お釜は単に双温層だけではない。湖水の化学成分変化と水色の関係や、微生物発生の時期など尽きぬ話題が現れて来る。

更に驚異を感ずるのは、大きな湖面へ向って、馬ノ背から吹き送られて来る無数の昆虫類が湖面に墜落して溺れることである。冬には吹雪のもととなり、夏にも常時恒風として吹く西風は、低い山形の盆地に安棲する昆虫類を、彼等の意志に逆らって蔵王の嶺へと吹きのぼせ、カルデラ地獄の中へと投げこんでしまう。お釜の湖岸に寄せられる溺れた昆虫の種類は九十種にも及ぶことは、私の湖水研究中に出た副産物の一つであった。



蔵王火山は長い年月の周期によって爆裂する。近くは明治28年のお釜大爆裂で、大正7年には湖水の大沸騰があった。その活動は昭和2年全く静まったが、昭和14年の夏には再び湖面に異変を現わし、15年には相当の活動を行って鳥地獄に小爆発を起すに至った。しかしそれは極めて小規模で18年には湖水平静となり、鳥地獄の噴煙のみ今尚地下の活力を示すかのように幽かな息を見せている。

(1950年稿)



出典:真壁仁『蔵王詩集 氷の花』





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