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2015年4月22日水曜日

お達磨の桜 [山形・中山町]



中山町古代遺跡「達磨寺」遺跡

お達磨の桜(樹齢700年)

〜現地・案内板より〜

山形県天然記念物
「お達磨(だるま)の桜」
昭和27年4月指定

樹 種 エドヒガン(アヅマヒガン)
所在地 中山町大字達磨寺
管理者 中山町
開花期 四月下旬
樹 齢 約七百年(高さ約15m、樹幹約5m)

この地域からは、古墳時代の土師器や須恵器が発掘されている。また、奈良時代から平安時代の集落跡と鉄工房が見つかっている。







〜現地・説明 板より〜

中山町の伝説
生き達磨(だるま)


 昔、達磨寺村の名主・市兵衛(史実では助左エ門)のもとに見すぼらしい僧が訪れた。心をこめてもたなしたが、その晩、急に苦しみだし

「須川のほとりの桜の根元に埋め、三十五日たったら掘り出してくれ」

と言い残して息を引き取った。

 村人たちは手厚くほうむり、遺言どおりに掘り返してみると、”葦の葉に身を託し、波頭を一気に乗り切ろうとしている「渡海達磨図」”の掛け軸が一幅でてきた。村人たちはありがたくまつっていたが、表具がいたんだので、修理に出すことになった。

 完成したとの知らせに、わざわざ都までやってきた市兵衛は、表具師に同じ図柄の掛け軸を六本も並べて見せられ、ほとほと困り果ててしまった。宿に帰った市兵衛は、床の中で

「笹の葉で目をこすってくれ」

とのお告げを聞く。翌日、その通りにすると、一幅だけパチパチとまばたきをした。それを持ち帰り、達磨大師の化身「生き地蔵」とあがめ奉るようになったという。


平成九年四月
中山町教育委員会
管理者 中山町







2014年9月30日火曜日

5代目、鍋掛松 [山形・中山町]


中山町長崎「鍋掛松」



〜現地・石碑文より〜

鍋掛松

舟運栄えたる最上の河畔、樹令三百の松影と芋煮の宴を偲ぶ
月山、蔵王の秀峰、正に雄大なり

昭和五十二年十月
最上川伝承遺跡 鍋掛松復元実行委員会




〜現地・説明板より〜

「鍋掛松(なべかけまつ)」
〜芋煮会発祥の地〜

 最上川舟運が中山町長崎から荒砥まで通じたのは、元禄七年(1694)のこと。それまでは、長崎港が舟運の終点であり、米沢方面へ船荷の積み換えが行なわれた要地でした。内陸からは米、紅花などを運び、一方京都からの帰り荷には衣料、蚊帳や雛人形など上方文化を積み帰ってきました。

 船頭や水夫たちは船着場で風待ちの逗留の間、京都から運ばれた棒だらと地元の里芋を材料に河岸の松の枝に鍋を掛けて煮て食べました。これが山形名物「芋煮会」の始まりであり、ここに立つ松が「5代目鍋掛松」なのです。