2015年5月21日木曜日

山寺の姥神さま [山形]



〜現地・説明板より〜

姥堂(うばどう)

 この堂の本尊は奪衣婆(だつえば)の石像。ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、そばの岩清水で心身を清め、新しい着物に着かえて極楽に登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納する。一つ一つの石段を登ることによって、欲望や汚れを消滅させ、明るく正しい人間になろうというもの。


山寺「姥堂(うばどう)」




〜鹿間廣治『奪衣婆―山形のうば神』より〜


ここ山寺の宝珠山・立石寺は、最澄の弟子・慈覚大師円仁の開山(貞観二年・860年)とされ、それ以来1,000年以上ものあいだ消えることなく、延暦寺から分火されたと伝えられる「不滅の法灯」が今も灯り続けている。東北随一の天台宗霊場といわれ、現世と来世の境界域として古くから深い信仰を集めてきた。

俳聖といわれた松尾芭蕉が、元禄二年(1689年)5月27日ここを訪れ、有名な「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を詠んだ。


山寺「姥神さま」三尊


(中央の姥神さま)

見るからに荒々しい顔立ちだ。「奪衣婆の長」のような風貌である。これこそ奪衣婆の名を辱めない風貌というべきだろう。長いあいだ悪を懲らしめてきたのだろうか、その本心はあくまでも救済であるはずだ。


(右方の姥神さま)

並んで座っている奪衣婆は、一方の恐ろしい形相の像とは対照的に、うつむき加減で自己主張などする風もなく、まるで気の短い夫にどうしようもなく黙って従っている大人しい妻のようだ。歯も欠けたままである。そのことでなおさら古女房のように見えるのかもしれない。


(左方の姥神さま)

頭部だけだからという理由からだろうが、隅に押しやられている。明治の廃仏毀釈の波をもろにかぶったのであろう、一生懸命はたらいただろうに、あたかも忘れられたかのように隅っこにいる。参拝客は、この頭部だけの可哀想な奪衣婆のいることなど気づく風もなく、(中央と右)二体の奪衣婆にだけ手を合わせ、その恐ろしげな風貌に驚き、それを話題にしながら通り過ぎていく。




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