山形道、関沢ICの辺り |
整備された階段を登っていく |
しばらく登るとお堂が |
関沢の稲荷神社 |
扁額「正一位稲荷大明神」 宝暦十三年(1763)頃の寄進と伝わる。 |
〜東沢地区振興会「東沢の歴史散歩道」より〜
関根(関沢)の稲荷神社
昔、延文元年(1356)斯波兼頼が山形に入部する途中、関根村に一泊したとき、赤い衣類と青い冠を身につけた老翁が現れ、「我はこの地に長く留り、五穀成就、国家安全を司どる稲荷大明神であるが、まだ社(やしろ)がない。一社を建てるべし」と申して消え去った。兼頼公は関根村に平地がないので、山の中腹に土地を定めたが、旅中のこととて建立するまでの運びにはならなかった。
その後、斯波氏を継いだ最上義光公は山形城東の守護神として建立を始めたが、普請中に城内に騒動が起き、そのままで建てるまでには至らなかった。現在の立派な社殿の建立時期ははっきりしないものの、徳川期と思われる。入口の正一位稲荷大明神の扁額は、宝暦十三年(1763)頃、柴橋代官所からの寄進という。
〜東沢地区振興会「東沢の歴史散歩道」より〜
笹谷街道宿駅の関根村は、羽州街道小坂通が整備されるにつれて、笹谷街道の利用減少から衰微し、さらに宝暦五年(1755)の大凶作により23軒のうち17軒が潰れ、残りは僅かに8軒のみとなった。当時の村民たちは、どのようなことを稲荷大明神に祈ったのであろうか。
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