上丁の観音堂 |
〜現地・案内板より〜
上丁の観音堂
嘉永年間(1850年頃)柏倉八幡神社の行善院から当地に遷座したと伝えられ、住民に信仰されています。御本尊は約6cmの木造で、幟旗には十一面観世音菩薩と書いてあります。
〜西山形振興会「西山形の散歩道」より〜
上丁の観音堂
昔、ある朝早く、お堂の中でコトコトと音がするので、「中に何かいるぞ」と近所の人々が警戒しながら見守っておりましたら、ギーッとお堂の扉が開いて、中から見たこともない旅人が出てきました。
近所の人々がお堂の前で驚いていましたが、旅人は「これはどうも失礼しました。昨夜は遅くなって体も疲れて、この観音様に手を合わせてお詣りしておりました処、『旅人よ、泊まる家もないだろうから、此処に泊まって朝早く出立するがよい』と観音様が言ってくれたので、おぼしめしに甘えて、ついゆっくりさせて貰いました。お陰さまですっかり疲れが取れました。本当にお慈悲の深い観音様に頭が下がります。皆様ありがとうございました」とお礼を言って、また旅に立ちました。
江戸時代後期の嘉永年間(1850年頃)柏倉八幡神社前にあった行善院から上丁の足立林栄さんの処の三叉路付近の一角に遷座されたと聞きますが、その後、現在地の木川氏宅近くに再び遷座し、住民の信仰を集めております。
御本尊は木像、約6cm程、幟旗には十一面観音大菩薩と書かれております。終戦後間もなくのこと、以前の幟旗が盗難に遭い、昭和二十六年、足立佐逸先生の執筆で復元しております。
観音様の御詠歌
ありがたや 大師のちからで 身を救う
みちびき給う 弥陀の浄土へ
また、椹沢にお住まいの小林松茂さんは、夫婦延命観音菩薩三十三番霊場と銘して巡礼しておられ、この上丁の観音様はその中の十四番目で
さやさやと やま辺によりぬ 古み堂
からすのこえや やさしかんのん
と詠まれております。
観音堂前からのぞむ富神山 |
「上丁の観音堂」の緯度経度
38°13'50.8"N 140°15'14.5"E
38.230788, 140.254026
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