〜真壁仁『蔵王詩集 氷の花』より〜
真壁仁『蔵王詩集 氷の花』 |
こまくさ
山が火をふき
あつい泥をおし出して
それがかたまってできた溶岩の沙漠
そこに
どの草たちよりも早く
芽を出したこまくさ
火山の花
しっかりとふかく根をはって
岩をくだき
小石の肌をたがやして
どんな草でもそだつように
あれ地をひらいていく開拓者
蔵王のこまくさ
山のいただきの雨かぜはげしく
空気はつめたい
そのなかで
きよらかな夜ぞらの星のように
人間のこころのともしびのように
こまくさは咲く
雲海のうえに
あけぼののひかりがおとずれ
花にやどったつゆをとかす
そのひかりのいろを
しずくのなかに染めたような
うすくれないのこまくさの花
雲のなかの花
いつまでも若くういういしい
いのちのかがやき
火山の花
こまくさは
蔵王の溶岩の丘に咲いている
田沢湖のおくの駒ケ岳にも咲いている
岩ばかりの原っぱに
白っぽいみどりの葉をひろげ
ピンク色のちいさな花を
ちょうちんのようにつける
ほかの草木がいっぽんもはえない
あれつちに
しっかりと根をはって
わずかな日ざしにもぐんぐんのびる
雪が降るとあからむほっぺのような
花のいろ
こまくさは岩をくだく
こまくさは土をたがやす
こまくさがふえれば
どんな草でもそだつ土にかわっていく
こまくさは開墾者だ
こまくさのはたらきは山をみどりにする
ひるでも
霧にぬれて
こまくさは咲いている
風に折れない
やさしくてつよい花
けれども
ほかの草が生えれば
こまくさは
じぶんのたがやした土を
去らなければならない
かなしい開墾者だ
〜安斎徹「蔵王火山」より〜
古い火山体は植物によって山肌が飾られ一見親しみを覚えるが、一度ワサ小屋の鞍部を横ぎって熊野岳へと向わんか、新しい火山の様相は今将に風の侵蝕と奮闘して一塊、一粒の岩礫をも保護し、強い根と蔓との網を拡げて地表を彩って岩をめぐり、自己の繁殖のために美しい花を多く飾って、その幾割でも芽生えの数を殖やそうと企てる植物は、雨と風とに傷められて荒れゆく火山の裸地を緑化する使命を帯びているのではあるまいか。
とりわけいたいたしいのは可憐なコマ草の姿であろう。心ない登山者が見つけ次第に千切り採って今は焼石の地表にその影さえも失われてしまった。
コマ草は他の植物さえも生え兼ねる火山酸性の裸地に繁殖して、長い間に地表を土壌化し、やがて他の高山植物によって緑化され得る土壌の開拓者なのだ。山の緑化は、川の源の地崩をまもって平野の人文を安穏にする最大の原因ではないか。
コマ草を先頭とした高山植物の使命を、只美しい風景として見過ごしてよいものであろうか。無惨にも路傍に千切り捨てられたる高山植物のあわれな姿、威大なる蔵王の大自然には測り知れない詩情を感ぜずには居られない。
〜真壁仁『斎藤茂吉の風土 蔵王・最上川』より〜
火山(ひのやま)のはな駒草
雪消えしのちに蔵王の太陽が
昭和14年の夏、斎藤茂吉がはじめて山上歌碑を見たときの作品の中に
雪消えしのちに蔵王の太陽がはぐくみたりし駒草のはな
という一首がある。時は7月8日のことだったから、駒草の花の咲きはじめる季節である。歌碑をとりまく溶岩の頂上、とくに南の斜面に、昔はずいぶんこの花が咲いていた。昭和14年にも、あるいはあちこちに残っていたかもしれない。だからこの歌も実際に駒草の花を見ての作だろうと考えられる。
白っぽい緑の茎葉もうつくしいが、そこから花梗をのばして、外にしゃくれたような淡紅の花弁をひらいているこの花は、たとえようもない可憐なうつくしさを持っている。それがごつい岩石の砂漠にゆらぎながら咲いている。霧のふかいときは、しっとりと濡れて、その露の重みでくず折れはしまいかと思うばかりだ。
しかし、ほんとうはほかのどんな草も生えられない裸地に、さきがけて咲く強い花なのである。冷たい山上の気流にも、烈しい突風にもめげず、ふかくふかく地中に根を張って、九月ごろまで、つぎつぎに咲いていく。
茂吉のこの歌は、「雪消えしのちに蔵王の太陽」の方に感動がかかっているように思われる。長い冬のあいだ、しかもシュカブラといわれる青氷に蔽われる火山岩の丘の氷雪が溶けて、春らしい太陽が照りはじめたのはついこの間と思われるのに、その短い期間の太陽光に育くまれて、夏の花である駒草が咲いているという感動である。
「雪消えし」で小休止の息を入れたあと、「はぐくみたりし」とたたみかけて声調の上にその感動を沈めこんでいる。駒草の花そのもののうつくしさは、声にならない無音の韻としてひびいている。
(中略)
駒草が咲くのは、荒い青年期の火山帯である。溶岩の原は強度の酸性であるが、その酸性に耐えて最初に根をおろすことができるのが駒草である。
もしこの美しい高山の花を摘みとることなく、花の群落をつくるのを待つなら、駒草の根は岩や礫をくだいて土壌化し、その土の酸性をも中和して行く。そういう先駆的な開拓が長い期間にわたって進むならば、そこは他の草たちも根をおろすことができるようになる。木もまた生えることができる。
しかしそのとき、駒草は他の草たちにその座を追われる。この、緑化の先駆者は、荒涼の地殻(ちこく)にだけ、その美しさを見せて滅びてしまう悲劇の女王でもある。
ぼくらが駒草を愛するのは、その美しさのためだけではない。水の源である山が、そのゆたかな水で麓の町や里を潤おしてくれることをねがっているからである。滅びをかけたその繁茂は、人間と大地の豊穣につながっている。
それだけに花をむしりとっていくものたちへのぼくらの怒りは深い。
ぼくらは熊野岳から馬の背へ、そして刈田岳への道をまた歩いたのだが、一輪の駒草にも出会わなかった。崖の上から、ふしぎな双温層の水層をもつといわれるお釜を眺めることで満足して山を下りた。
(中略)
こまくさ平で車をとめる。大黒天、こまくさ平、賽の河原などの一帯はまだ噴出した溶岩の大地である。
駒草の花は、柵をめぐらして保護されながら、台地に幾株か咲いている。花は乏しく、もう季節がすぎていることを思わせた。
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