鹿島神宮へと向かう大通りにて |
常陸国風土記と万葉ライン
和銅6年(西暦713年)に編纂された常陸国風土記に「高天原より降り来たまひし大神、名を『香嶋天之大神(かしまあめのおおかみ)』と稱す。天にては香嶋之宮といひ、地にては豊香嶋之宮と名づく」とあり、鹿島神宮のご祭神「武甕槌命(たけみかづちのかみ)」が日本建国の昔、天降られて関東地方の開拓と鎮撫に当たられたことが書かれてある。
奈良時代に九州の防備に「鹿島立ち」した防人(さきもり)は、鹿島神宮に武運の長久と道中の平安を祈り、那珂郡上丁・大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)は
「霰(あられ)降り 鹿島の神を祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ)に吾は来にしを」と詠んだ。
現在、鹿島神宮の境内は坂戸・沼尾の両摂社また往古の郡家(郡役所)跡を含めて、国の史蹟「鹿島神宮境内附郡家跡」として指定され、周辺地区には風土記、万葉集に詠まれた史蹟名勝が数多く見られる。
本来あった大鳥居は、東日本大震災にて倒壊したとのこと |
大鳥居再建へ向けて
東日本大震災で倒壊した大鳥居は皆様の御浄財により、境内御用材にて以前の鳥居と同等の大きさで再建が進められています。来る平成26年6月1日に竣工祭が斎行され、鹿島鳥居本来の木製の鳥居が披露されます。
「大鳥居 身替りになり倒れしと 会ふ人ごとに無事を喜ぶ」牟根天
鹿島神宮「大鳥居」
平成26年6月完成予定
高さ:約10.2m
笠木巾:約14.6m
材料:杉(境内御用材)
重要文化財「楼門」 この楼門の秀麗な造りは、九州の阿蘇神社、筥崎宮とともに「日本三大楼門」に数えられている。 |
「三木宗策」彫刻による随身像 |
現地説明板より
重要文化財「楼門」
寛永11年(1634年)に水戸初代藩主「徳川頼房」公の奉納。頼房公は水戸黄門・光圀公の父君。
左右の随神像は東京・荻原捷奉納、彫刻は三木宗策(日展審査員)。
摂社「高房社」 |
摂社「高房社」
祭神 健葉槌神(たけはづちのみこと)
鹿島の大神に従い、香々背男(かがせお)を討つ。常陸国二の宮「静神社(しずじんじゃ)」の祭神。
本社参拝の前に詣でるのが古例である。
鹿島神宮「本宮」 |
鹿島神宮「本宮」
御祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
創祀 神武天皇ご即位の年に神恩感謝の意をもって神武天皇が遣わして勅祭されたと傳える。
御神徳 神代の昔、天照大御神の命により国家統一の大業を果たされ、建国功労の神と稱え奉る。また「韴霊剣(ふつのみたまつるぎ)」の偉徳により武道の祖神、決断力の神と仰がれ、関東の開拓により農漁業、商工殖産の守護神として仰がれるほか、常陸帯の古例により縁結び安産の神様として著名である。さらに「鹿島立ち」の言葉が示すように、交通安全・旅行安泰の御神徳が古代から受け継がれている。
「宝物館」 国宝「直刀(ちょくとう)」展示 |
「直刀」金銅黒漆塗平文拵附刀唐櫃
日本最古最大の直刀で、制作年代は今から約1,300年前と推定されます。常陸国風土記に、慶雲元年、国司等が鹿島神宮の神山の砂鉄で剣を作ったとあり、その剣であろうともいわれております。
古くは本殿内に納められていた神刀で、御祭神の神剣「韴霊剣(ふつのみたまつるぎ)」の名も伝えられています。神武天皇はその御東征なかばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。
鹿島神宮御座舩の船首 |
平成26年 式年大祭「御船祭」
12年に一度の絢爛壮麗な一大神事
鹿島神宮の「御船祭(みふねさい)」の起こりは、大神を奉ずる船団による大昔の関東開拓の時代にまでさかのぼり、当神宮にとりましては最大の祭典であります。この御船祭が、来る平成26年9月1日より3日間にわたり行われます。
9月1日、まず勅使参向例大祭が斎行され、翌2日早朝、御分霊された御神輿は陸路を一の鳥居の大船津河岸までとり、そこから御神輿を奉戴した御座船は、数多の供養船を従えて一路香取市加藤洲へと進みます。そこで香取神宮の御迎祭を受けて後、再び同じ水路を行宮まで戻るという絢爛壮麗なる水上絵巻が繰り広げられるのです。
例年の御神幸は門前町の大町通りに限られておりますが、12年に一度のこの御船祭は鹿島の大神が陸路と湖上を御神幸する人々の幸せと平安をもたらす一大神事であり、今回この大祭をあわせて東日本大震災の復興を中心とする日本再生の「鹿島立ち神事」とすべく準備に取りかかっております。
重要文化財「仮殿」 |
仮殿(重要文化財)
本殿を修復する時など、一時的に神様をお遷しする社殿です。現在、下記の摂末社所管社の御分霊をお祀りしております。
摂社:奥宮、高房社、三笠社、跡宮、鳥栖神社、沼尾神社、坂戸神社
末社:須賀社、熊野社、津東祝詞社、稲荷社、潮社、阿津社、熱田社、御厨国主社、海辺社、鷲社、押手社、年社
所管社:大国社
旧東神門跡 |
石灯籠
元和5年(1619)に社殿造営に関係した安藤対馬守が奉納(茨城県指定文化財)
国歌にも歌われる、巌(いわお)となった「さざれ石」 |
さざれ石の由来
さざれ石(石灰質角礫岩)は、石灰岩が長い年月の間に雨水で融解し、その粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結し、段々と大きくなりついには巌となり、河川の侵蝕により地表に露出し苔むしたものであります。
国歌「君が代」は天皇の御代の弥栄をさざれ石に託して詠んだ歌がもととなっており、天皇大御代が千代に八千代に年を経て、さざれ石の巌となって苔のむすまで永く久しく栄えますようにという祈りの込められた歌であります。
古今和歌集・巻七賀歌に、題知らず読人知らずの歌として「わが君は 千代に八千代に細れ石の巌となりて 苔のむすまで」とあります。
「君が代」は神事や宴席で最後に歌われる祝歌として各地に広がり、浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ、朝廷から一般庶民に到るまで全国津々浦々で歌われる歌となっていきました。
国歌「君が代」は明治26年、日本国歌に制定され、大正時代にニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特等となりました。
国歌「君が代」
君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで
国旗について
古来、日本人は太陽を信仰の対象としており、国名「日本」も国旗「日章旗」日の丸も太陽崇拝に起源するものと思われる。
日章旗が国旗として扱われるのは明治以降で、平成11年施行の国旗国歌法により正式に国旗として定められた。
「日の丸の旗」明治44年(1911)高野辰之 作詞岡野貞一 作曲
一、白地に赤く日の丸染めて ああうつくしや日本の旗は
二、朝日の昇る勢い見せて ああ勇ましや日本の旗は
神宮境内、21万坪の樹叢は「神の森」といえる荘厳さ |
現地説明板より
樹叢(じゅそう)
鹿島神宮境内、約70ヘクタール(70町歩)に繁茂する植物は1,000種の多種にわたり、特に南限北限の植物が同生して植物学上貴重なため、県の天然記念物の指定を受けている。
照葉樹林の北限、フウランなどの北限をなす |
現地説明板より
天然記念物
鹿島神宮の森について
最近、森林浴という言葉が話題になっています。これは緑豊かな森の樹木や草花などが発散する殺菌力のある芳香性の物質(フィトンチッド)が人間にも良い影響を与えることから、林野庁が提唱しているものです。
鹿島神宮の森は、その上に「極相林(きょくそうりん)」といって森が到達する極限の状態でありますので、人の心を和らげ、活動を促す精神的な働きもあります。このような姿を昔の人は神々しい森という言葉で讃えましたが、和らぎと明日への活力づくりに皆さんもゆっくりと森の香気にふれて下さい。
なお、境内の宮水である御手洗の湧水も昔から長命水といわれておりますので、この真清水をも賞味され、健康で活力ある毎日をお送り下さい。
重要文化財「奥宮(おくのみや)」 |
現地説明板より
重要文化財「奥宮」
祭神 武甕槌大神 荒魂
本宮御祭神の「荒魂(あらみたま・分け御魂のことで躍動する魂のこと)」を奉祀する。
社殿 慶長10年(1605)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが、元和五年(1619)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮社殿が奉建されるにあたり、現在地に引遷して奥宮社殿となった。
明治34年国宝指定、現・重要文化財。
「此松の 実生せし代や 神の秋」
俳聖・松尾芭蕉が当神宮に参拝したおり詠んだ句(1687)。「神前」の前書がある。
地震を起こす「大鯰(おおなまず)」の頭を押さえる |
「要石」を祀る 大鯰(おおなまず)を押さえているという説話により、当地方は大地震にも被害が少ないという |
意外にも、「要石」は子供の頭ほどに小さい |
要石(かなめいし)
神世の昔、鹿島の大神が座とされた万葉集にいう石の御座とも。あるいは古代における大神奉斎の座位として磐座(いわくら)とも伝えられる霊石である。
この石、地を掘るに従って大きさを加え、その極まるところ知らずという。
水戸黄門仁徳録に、七日七夜掘っても掘っても掘り切れずと書かれ、地震押さえの伝説と相まって著名である。信仰上からは、伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である。
「大地震(おおなゑ)に びくともせぬや 松の花」 一茶
小林一茶は文化14年5月26日、鹿島へ詣で右の句を詠みました。
芭蕉句碑
枯枝に 鴉(からす)のとまりけり 秋(穐)の暮
潔斎の池「御手洗(みたらし)」 |
池の水温は一定して夏は冷たく冬は温かく感じられるという |
御手洗(みたらし)
池水清冽にして四時滾々とし、一昼夜約2,400〜2,500石(432〜450キロリットル)を湧出す
古来、神職ならびに参拝者の潔斎の池である池の水は、清く美しく澄み四時滾々と流れ出て、どのような旱魃にも絶えることのない霊泉で、神代の昔、御祭神が天曲弓(あめのまがゆみ)で掘られたとき、宮造りの折一夜にして湧水したと伝えられ、大人小人によれず水位が乳を越えないという伝説により七不思議の一つに数えられている。
大昔は当神宮の参拝がこの御手洗を起点としてこの池で身を清めてから参拝するので御手洗(みたらし)の名が今に残るのである。
涼しさや 神代のまゝの 水の色
松露庵雪才
古くは御手洗のあたりが参道の起点であったという。 その名残りか、今は裏口のような園の入口にも大きく土が盛られている。 |
神の使いの子孫「神鹿」 |
鹿園には、およそ30頭が飼育されている |
神鹿について
鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)様のところへ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様のご命令を伝えに来られたのが「天迦久神(あめのかぐのかみ)」という方で、鹿の神霊とされていることから、鹿島神宮のお使いは鹿となっています。
神護景雲元年(西暦767年)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日大社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良まで行きました。
その鹿の足跡が、東京江戸川区の鹿骨(ししぼね)をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っています。また、鹿島は古くは香島と書いていましたが、養老7年(723)頃から鹿島と書くようになったのは、この鹿との縁によるものでしょう。
神鹿は長い間大切に保護されてきておりますが、幾度か新たに導入され、現在の神鹿はかつて鹿島から移った奈良の神鹿の系統を受けています。
鹿島八景「鹿島山の晴嵐(せいらん)」
朝ぼらけ 近くききしは鹿島山 松のあらしの さそう鹿の音
吉澤義則
「稲荷社」 |
末社 稲荷社
祭神 保食神(うけもちのかみ)
俗に「銚場の稲荷様」と呼ばれ、霊験あらたかで多く人々の信仰を集めている。なお、「銚場」とは直会場(なおらいば)のことで、江戸時代以前はこの広場で祭典の後、直会(なおらい)を行っていたのである。
鹿島七不思議
要石:その根底深くて図り知れずという
御手洗:池の深さ大人・小人によらず乳を過ぎずという
末無川:川の水、流れ行くほど追々かれて行末知らず
藤の花:御山の藤の花の多少により、その年の豊凶を予知すること
海の音:浪の響が上(北)の方に聞こえれば日和、下(南)に響けば雨降るという
根上りの松:すべて御山の内の松、幾度伐れども伐り跡に芽出て枯れることなし
松の箸:鹿島の松で作る箸は、松脂の出たことなしという
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