「巡見使の宿」跡 |
〜現地・説明板より〜
山辺町指定文化財 第十三号
巡見使の宿
吉田作兵衛氏邸宅
徳川幕府は、新しい将軍になると全国に巡見使を派遣し、その政情を報告させた。そこで、各大名や幕府直轄地の天領では丁寧にもてなし、何事もなく巡見使一行が通過するように願った。上山の宿を出立した一行は長谷堂から門伝、そして畑谷と回り、畑谷では三軒に分かれて昼食を摂り、休憩するのが例であった。
宝永七年(1710)五月、幕府巡見使一行を迎えるために山形城主堀田正虎公は、畑谷で接待に当たる作兵衛、作蔵、助右衛門の三軒の家の改修を命じ、大工・木挽二十五人、左官三人等が来て工事に当たっている。畑谷には店がないので、山形から肴屋、青物屋、菓子屋、餅屋等を派遣している。こうした努力により幕府巡見使一行を無事に通過させることができたのである。
この吉田作兵衛家は巡見使の使用する玄関を始め、身分によって入り口が三つに分けられ、各部屋もそれに対応していた。その後は基本はそのままであり、山形城主堀田公の命による改修以前の時期を考えても、建築されて以来、約三百年を経過している。これだけの長い歴史のはっきりしている民家は東北地方では例が無いし、基礎・基本等がしっかりしているので、貴重な文化財として丁寧に永く保存したいものである。なお、その庭園も見事なものがあり、東黒森山を借景とし、小さいながらも雄大な感じを与えるものである。
山辺町教育委員会
山形の宝より 「旧吉田家住宅」 |
2014年11月現在、300年来の邸宅はすでに無くなっていた。
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