十六羅漢像 |
羅漢さんは、釈迦が仏法を説かれたとき集まった仏弟子 |
海禅寺、21代目「石川寛海」大和尚による |
元治元年(1864)より明治初年(1868)に刻まれたという |
釈迦・文殊・普賢の三尊はじめ 全部で22体 |
現地説明版より
名勝「羅漢岩」の由来
現・曹洞宗海禅寺、21代目の石川寛海大和尚が、日本海の荒波の打ち寄せる奇岩の連る数百メートルに点綴して刻んだ、十六羅漢がある。
奇岩怪岩に富んだこの岩石を利用して巧みに仏像22体を彫刻した和尚の努力と精進のほどに敬虔の念を捧げます。
また和尚は作仏発願以来、喜捨金を酒田に托鉢し、一両を求めると一仏を刻し、元治元年(1864)より明治初年(1868)までのあいだ、石工とともに彫刻したのが羅漢像である。
正面に釈迦・文殊・普賢の三尊と、その周囲に十六羅漢そのほかの仏像を配し、全部が半身仏である。
像は岩形に応じてその姿態を羅漢にしたのは自然の景観に一段の奇観を添え、接する人々の庶民信仰を培う和尚の慈悲心のあらわれである。
昭和50年3月
遊佐町福浦海禅寺
出羽二見 |
胎内くぐり |
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
芭蕉
吹浦も鳥海山も鳥曇
漾人(ようじん)
渡り鳥が北へ帰って行く頃の曇りがちの空と、長い冬を終えようやく春も来ようかという頃の吹浦の海と、まだ雪を残してそびえたつ鳥海山の景色をひとつにとらえ詠んだ句。
最上郡鮭川村生まれ
医学博士
本名、佐藤要人の作
冬来れば母川回帰の本能に目覚めて愛(かな)し鮭のぼりくる
齋藤勇
先人たちの長年の人口ふ化事業の辛苦のもと、月光川で生を受けた鮭の稚魚が、遠く北洋の旅をへて、ふたたび母なる川・月光川の清流を慕い帰ってくる姿を詠いあげた一首。
南遊佐村(現・酒田市)に生まれ育った歌人
齋藤勇氏の作
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